代表・講師プロフィール

プロフィール

文部科学省・厚生労働省共管国家資格・公認心理師(第43587号)
”経営に心理学を” 株式会社小倉広事務所 代表取締役

青山学院大学卒業後、新卒でリクルート入社。就職情報誌の事業企画、商品企画、営業企画、編集部、組織人事コンサルティング室課長など主に企画畑で12年過ごす。その後、現東証一部上場のソースネクスト常務取締役、コンサルティング会社代表取締役などを経て現職。自らの失敗を赤裸々に語る体験談と心理学の知見に裏打ちされた論理的内容、さらにはオンライン研修を知り尽くした飽きさせない腹落ちのカリキュラムで人気を博し、年300回を越える講演、研修に登壇。「一年先まで予約が埋まっている」講師として依頼が絶えない。また著作46冊、累計発行部数100万部超のビジネス書作家であり、同時に心理カウンセラー・セラピストとして経営者、管理職、個人事業主を中心に個人面接を行っている。

東京公認心理師協会正会員日本アドラー心理学会正会員日本ゲシュタルト療法学会会員

来歴

学生時代

昭和40年新潟市生まれ。設計事務所を経営し、新潟県建築士事務所協会理事長を務めた父(黄綬褒章および紫綬褒章受章)と専業主婦であった母の間に長男として生まれる。小学校一年時に両親が協議離婚。妹と共に母方にて育つ。趣味は読書。幼稚園時に父から毎月手渡される「シートン動物記」「ファーブル昆虫記」「世界子ども文学全集」を貪るように読み読書の習慣が根づく。小学生時に両親所蔵の小説、山崎豊子の「華麗なる一族」「白い巨塔」「不毛地帯」や山本周五郎の「赤ひげ診療譚」「さぶ」「樅の木は残った」など百冊を読破。後の文筆業への萌芽が見える。坂口安吾(小説家)、齋藤英四郎(経団連第6代会長)南場智子(DeNA創業者)らを輩出した新潟県立新潟高校を卒業後、青山学院大学経済学部へ。東京で一人暮らしを始める。丸ノ内東京會舘にて配膳会のアルバイトを始めた初日の働きぶりが総キャプテンの目に止まり、翌日から準社員扱いに。総理大臣官邸、外務省飯倉公館、英国大使館などで日本を代表する政財界VIPトップへの給仕担当を数多く務める。アルバイトに熱中する毎日だったが4年間で無事大学を卒業。

リクルートにて

新卒でリクルートへ入社。志望理由は「会う人が全員、一人残らずイキイキとしていたから」。入社一年目にリクルート事件勃発。就職情報誌の営業先にて「悪い会社だ」と目の前で名刺を破り捨てられた経験も。二年目から事業企画室にて商品企画。営業とはまったく違う頭の使い方にとまどいながら商品コンセプト立案や事業収支シミュレーション、価格決定、マーケティングプラン立案などに従事。その後、情報誌編集部、組織人事コンサルティング室課長兼プロジェクトマネジャーなど一貫して企画畑を歩む。この時に身につけた思考フレームがその後のコンサルティング活動の基礎となる。また、同社にて「『高いモチベーションで人が育つ組織』のカルチャーとコミュニケーションを体で感じられたこと」がコンサルタントとしての最大の資産となっている。その後、入社同期内で上位2%の早さ、29歳でプレイング・マネジャー、30歳で部下を持つ課長に昇進。しかし、指示命令型の最悪のリーダーシップを発揮してしまい部下から総スカンを食らい人生初のうつ病に。順風満帆かに見えたキャリアで大きな挫折を味わう。この失敗経験が後のリーダーシップ理論や執筆・講演活動の基礎となるのを当時は知るよしもない。

ベンチャー企業にて

リクルート12年目に当時クライアントであったソースネクスト(後に東証一部上場)に出会い初めての転職。常務取締役として上場まで貴重な経験を積む。その後、異業種の上場企業にて取締役を経験するが、ここでもリーダーシップの失敗からうつ病を再発、退任。その後、コンサルティング業界に戻り代表取締役を経て現在に至る。リクルート時代に経験した失敗はベンチャー企業数社でも繰り返してしまい、人生に絶望するが「リーダーシップとは生き様である」と知り、自分の生き方を根本から変えようと決意。それまで避けて来た「論語」「孟子」などの儒教、仏教、道教など東洋哲学の古典の読書会「人間塾」を主宰し、仲間と共に学び始める。また同時に、うつ病経験をきっかけとして心理学を学び始める。この時の挫折経験がすべて現在の専門領域「アドラー心理学」「リーダーシップ」となっていくのは運命を感じる。

小倉広事務所にて

コンサル会社社長時代にビジネス書を書き始め、何冊かがベストセラーとなる。それを機に講演依頼、執筆依頼が殺到し、会社経営とは別な個人的活動が増えていく。社長業10年目を機に「自分が最も社会に貢献できる能力は何か」と自問自答した結果、共同経営者へ事業経営のバトンを返還し、自らはソロ活動へと軸足を転換。現在に至る。