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小倉広メルマガvol.349「命を使う、と書いて『使命』と読む」



vol.349 『命を使う、と書いて『使命』と読む』 



人間力を高めるために古典を学ぶ読書会、人間塾。
第70回の課題図書として
「教室の感動を実況中継!先生、日本ってすごいね」服部剛著・高木書房を学んだ。
本書は服部先生が中学生向けに行ってきた道徳の授業を再現したものだ。
その第一話「戦場の知事 島田叡~沖縄の島守」役割と責任を読み、僕はいきなり、
横っ面を張られたような衝撃を受けた。

(以下、引用。一部改編)

時は大東亜戦争(第二次世界大戦)末期、戦況が悪化し、沖縄も空襲を受けるように
なった時のこと。当時の沖縄県知事、泉守紀氏は空襲を怖れ、県庁をあちこちに移転
させ行政が滞っていた。また、知事自ら、出張と称して本土に出かけ、そのまま沖縄
に戻ってこなかった、という。

内務省は、後任の知事を誰にするかで困っていた。まもなくアメリカ軍が沖縄に上陸
するのが確実だったため、誰も引き受けなかったからである。

そこに、沖縄守備軍の司令官・牛島満中将から「ぜひ、島田君を」と指名があった。
島田叡氏は神戸市出身、東京大学野球部卒の内務省エリート官僚。もちろん沖縄とは
縁もゆかりもない。しかし、牛島中将とは以前から親交があり深く信頼されていたのだ。

昭和二十年一月十日。当時、島田が務めていた大阪府の知事から呼び出された彼は、
突然「沖縄県知事になってほしい」と要請された。すると。

「私が行きます」島田は即答した。

慌てたのは、むしろ知事の方であった。
「君、家族もあるのだから三日ほどよく考え、相談した上で返答したらどうだ。断って
もいいんだぞ」しかし、島田は
「いや、これは妻子に相談することじゃありません。私が決めることです」と答えた。

自宅に帰ると、妻が
「朝から何か良いお話でしたの」と尋ねる。島田は
「沖縄県知事の内命やった。もちろん引き受けてきたわ」と答えた。驚く妻が
「なぜ、あなたが!?」と問うと、島田はこう言った。
「誰かが、どうしても行かなければならんとなれば、言われた俺が断るわけにはいかん
やないか。俺が断ったら誰かが行かなならん。俺は行くのは嫌やから、誰か行けとは
言えへん」のちに、島田はこうも言っている。
「牛島さんから赴任を望まれた。男として名指しされて断ることはできへんやないか」

こうして、島田は沖縄県知事として単身赴任した。島田の荷物はトランク二つだけ。
中には衣服と茶道具、愛読書数冊、薬。そして、拳銃。胸ポケットには青酸カリが
入っていた。

(中略)

「ありったけの地獄を一つにまとめたような戦い」と言われる沖縄戦において、
島田は自ら赴任し、地下壕の中で仕事をした。鍾乳洞の下、職員全員が家族を疎開
させ、島田とともに県民のために尽くしたという。

軍、民ともに沖縄本島南部に追い詰められ、県庁も崩壊した時
「知事さんは県民のために十分働かれました。文官なのですから、最後は手を
上げて出られても良いのではありませんか」と提案され、島田はこう答えたという。

「キミ、一県の長官として、僕が生きて帰れると思うかね。沖縄の人がどれだけ
死んでいるか、キミも知っているだろう」
「それにしても、僕ぐらい県民の力になれなかった県知事は、後にも先にも
いないだろうなあ。これは、きっと末代までの語りぐさになると思うよ」
と、県民を守り通せなかったことで自分を責めたという。

いよいよ最後の時。島田は女子職員に手を上げて出るよう指示をすると、自らは
激戦の中、軍の壕へ向かった。

後に島田知事の最期を目撃した、当時の分隊長、山本初雄氏は言った。
「島田知事は、負傷して壕の中で横になっていました。そして
『兵隊さん、そこに黒砂糖がありますからお持ちなさい』と言いました。
何も食べ物がない時ですよ。偉いと思います。
翌日、再び壕を訪ねると、島田知事は亡くなっていたという。
知事の膝のそばに拳銃がありました。『ああ自決したんだなあ』と思い、
合掌して壕を出ました」

(以上引用終わり)

本文を読んで、いろいろな思いや意見があることだろう。当時の軍や政治を糾弾
する気持ちもあるだろう。「命は地球よりも重い」という意見もあるかもしれない。
しかし、できれば、それらをいったん脇へ置いて、島田氏の「命の使い方」について
考えてみてはもらえないだろうか。

僕が言う「命の使い方」とは、「命の捨て方」ではない。
時間=命、だ。今、こうしている間も、僕たちは時間という命を使っている。
つまり、命の使い方とは、毎日の時間の使い方のことだ。

僕は、これまで、ワーカホリックのように働き詰めで働いてきた30年間を反省し、
鎌倉という自然豊かな環境に身を置き、ゆったりとした毎日を送ることを決意した。
四年前のことである。僕は意識的に仕事を減らし、毎日書いていたメルマガの執筆
を中断し、バックナンバーを配信することにした。

そこで生まれた時間を使って、僕は毎日のように由比ヶ浜を散歩し、夜は砂浜で
月を眺めた。愛犬を散歩して山に分け入った。木陰で読書をして過ごした。心が
満たされるのを感じた。これまでとは違う時間の使い方、命の使い方を知り、
心がみずみずしくなった。それは、それは、素晴らしい時間だった。

一方で、仕事を減らし、アウトプットを減らした僕は何だか、リタイアした老人の
ような気持ちになっていた。「仕事なんかよりも大切なことがある。僕は大切な
ものを取り戻しているんだ」そう自分に言い聞かせながらも、一方で、自分の
足が地に着かず、ふわふわと宙に浮いているような感覚があった。このまま、引退
してしまいそうな気持ちになっていた。

そんな時に、島田叡氏の話を読んだのだ。それは、横っ面を張られもするだろう、よ。

人間は社会的な動物だ。人は社会の網の目の中にいる時にだけ人間となる。
アドラー心理学ではこれを社会統合論と呼ぶ。

人の幸せや不幸は対人関係の中からしか生まれない。人は社会に所属していると実感
する時にだけ幸福になれるのだ。そして、社会に所属できていない、と感じる時に
不幸になる。

島田叡氏はわずか五ヶ月の沖縄県知事生活の後に命を落とした。その時間の大半は、
辛く、苦しく、もどかしい思いの連続だったに違いない。しかし、一方で清々しかった
のではなかろうか。

なぜならば、その時間の使い方、命の使い方は、沖縄県民のために、まさに命がけで
使われた時間に違いない、と思うからだ。

人は、誰かの役にたち、自分の力を精一杯に燃やしていると思える時に所属を感じる。
すると、人は幸福を感じる。島田叡氏は、たくさんのやるせない思いとともに、
しかし、幸福だったのではなかろうか。

ひるがえって、現在の自分は、どうだろうか。

こうして、僕は一年半ぶりに、新原稿でメルマガを書いている。これからは、バック
ナンバーの配信をやめて、毎回、新原稿を書いていこうと思う。

四年間開催していなかった、一般の方向け(企業での社内開催ではなくどなたでも
参加可能な)セミナーも再開しようと思う。それもこれも、島田叡氏に横っ面を
張っていただいたお陰様である。

命は有限。時間もまた有限である。時間の使い方=人生である。
気力・体力に経験が加わり、ビジネス人生の総仕上げとなるだろう、五十代の
過ごし方を今、僕は、こうして考え直そうと思っている。

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