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小倉広メルマガvol.334 知ったかぶりをする人は、自分を認められていない。



vol.334 『知ったかぶりをする人は、自分を認められていない。』 
出典:成長する人は知っている28の小さなきっかけ



「孔子もこうおっしゃっています。ゴウキボクトツジンニチカシ、とね。
小倉先生もご存知とは思いますが」
セミナー講師の大先輩はそう言ってにっこりと笑いました。
私はあわてて顔を引きつらせながら、そ……、そうですよね、
と相づちを打ち苦笑いを返しました。

しかし、心の中では「?」が並んでいた。
「ゴウキボクトツって何だ? どんな漢字を書くんだろう?」。
つまり私は知らないくせに、知ったかぶりをしてしまったのです。

その後、私は猛烈に自分が恥ずかしくなってきました。
なぜ素直に「知りません」と言えなかったのだろう?
知らないことが恥ずかしかったのだろうか?
孔子の言葉をそらんじて言えなくてはならない、という強迫観念でも
あったのでしょうか。
私はその後、ずっともやもやとした気持ちを抱えたままで
一日を過ごしました。

ある日、今度は、それと逆の立場を経験する機会がありました。
友人数名と食事をしていたときのことです。私の悪い癖ではあるのですが、
会話の途中で、偉人の言葉を引用して得意ぶってしまったのです。

「……。一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ、ただ一燈を頼め』。
佐藤一斎先生の言う通りだよね」。
言い終わったときに、少し得意げになっていたかも知れません。
いわゆる「どや顔」というヤツです。
しかし、そんな私にお構いなしに、後輩の阿部さん(仮名)がこう言いました。

「はあっ? 小倉さん、それ何ですか? 佐藤なんとか? 誰っすか、それ?」
すると、阿部さん以外の友人が一斉に笑い出し、
ほっとしたような表情で口々にこう言ったのです。
「ああ良かった。阿部さんのお陰で気が楽になったよ。
実はオレもその言葉知らなかったんだ」
「やっぱり? オレも!」「オレも知らなかった!」

その時、私は思いました。負けた……。そうです。
私は阿部さんに負けたのです。
私は、自分を必要以上に大きく見せかけようとして、
難しい言葉を得意げに話しました。

しかし、一方で阿部さんは、知ったかぶりをせず、率直に堂々と知らない、
と言いました。つまり、自分を飾らず、カッコつけずに、
そのままの自分をさらけ出したのです。

かつて私は、セミナー講師の先輩から難しい孔子の言葉を伝えられたときに、
知ったかぶりで相づちを打ってしまいました。
そして後からそれを恥じた。
しかし、阿部さんは堂々と「それ何ですか?」と尋ねました。
私はその姿を見て、カッコイイ、と思ったのです。

カッコつけて、自分を飾り立てた私の方がカッコイイか?
それとも、カッコつけずに、裸の自分で勝負した阿部さんの方が
カッコイイか? いったいどちらの方が人間としての器が大きいか。
自明の理です。私は自分のことが情けなくなってしまいました。

カッコつけるがカッコ悪い。
カッコ悪いがカッコイイ。

最近、私はつくづくそう思います。
私が敬愛しているユング派の心理学者に、元京都大学名誉教授、
元文化庁長官の河合隼雄さんという方がいらっしゃいます。
私は河合先生の次の言葉が大好きです。

「人は成熟するほどラッキョの皮をむくように裸になる」

本当に強い人は「不完全さを認める勇気」を持った人だ、
と心理学者のアルフレッド・アドラーは言いました。

つまり、

●ONLY IF「○○ができたらOK」ではなく
●EVEN IF「○○ができなくてもOK」

条件付きではなく無条件で自分にOKを出せる人が強い、と言ったのです。

私がしてしまった「知ったかぶり」のように、
自分を着飾って大きく見せようとする行為の裏側には、
ONLY IF「○○ができたらOK」という価値観が透けて見えます。

「孔子の言葉、佐藤一斎の言葉を知っている自分ならばOK。
もし知らなければNOT OK」そんな風に私は考えていました。
つまり「不完全な自分を受け容れる勇気」がない、
意気地なしの私がいたのです。

そうではなく、阿部さんのようにラッキョの皮をむくのです。
EVEN IF「孔子や佐藤一斎の言葉を知らない自分でもOK」。
つまり「不完全さを認める勇気」を持っている強い人間になるのです。
それこそが私の目指す生き方だ、と私はその場で気がつきました。

それ以来、私は少しずつ「不完全な自分を受け容れる勇気」を
持てるようになってきました。
その結果でしょうか。
初めてお会いした方、十数年ぶりにお会いした方から同じことを
言われるようになりました。

「小倉さんは自然体ですね」
「小倉さんは、静かな自信にあふれているように見えます」

そう言っていただくと私は嬉しくなります。
なりたい自分に少しでも私が近づいているような気がするからです。
もう、後戻りはしないでしょう。
知ったかぶりをする必要がなくなったからです。
何しろ私は「不完全さを認める勇気」を持っているのですから。


【小さなきっかけ】

知らないことは知らないと認めて
不完全な自分を受け容れるようにしよう

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