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小倉広メルマガvol.311 望めど欲せず、こだわらず



vol.311 『望めど欲せず、こだわらず』 
出典:折れない自分のつくり方



◎矛盾する2つの両立とは

厳しくて高い目標は掲げる。だが、失敗は許す。
その矛盾の両立は、私の中でも謎だった。
目標が高くて厳しければ、失敗の許容を狭め、
チームを厳しく戒めていかなければならない。失敗を許すなら、目標への
こだわりが薄れ、チームが緩む……。両立なんて無理、と思っていたのだ。

だがこの2つは、ちゃんと両立できるのである。

まずは、目標は高く掲げなければならない。
売り上げ何億円とか、シェア・ナンバーワンを目指すとか。
それを下げては元も子もない。
最初から目標を低く設定するリーダーはいない。
ここまでは、私も全面的に賛成をする。
だが、高い目標は、そうそう簡単には達成はできない。
やってみるとうまくいかないことだらけなのが実情だろう。

たとえば目標達成のためには、やるべきことを月単位、週単位、
一日単位のToDoリストに落とし込んでいくことが必要だろう。
今月は何千万円売り上げようとか、
この商品は何月までにリリースしようとか、
今日はこことここの得意先を回ろうとか。
このように細かく仕事をブレークダウンして、
現実的な目標をたくさんつくればつくるほど、
目標どおりにできないことが毎日のように起きてくる。

その時に大事なのは、「できなかった……」という
ダメな結果を引きずらず、
まずはいったん受け入れることだ。
精一杯がんばったなら、目標達成できなくても、
自分やチームにOKを出して許す。
結果にはこだわらないことだ。

その代わり明日からもう一度目標へ向けてがんばろう、
と切り替える。

終わった今日にこだわらずに、すぐに目標を再設定していくのだ。
「過去は変えられないが未来を変えることはできる」
未来へ集中するのである。
それとは逆に過去にこだわると、チームの生産性はどんどん落ちていく。
「達成できなかった。なんて、オレはダメなんだ……」と自己否定をしたり
「なぜお前らは決めたことをやらないんだ」と部下を責めたりしていると、
当然だがチームがギスギスする。
エネルギーがどんどん奪われていく。
覇気が失われ、
よけいに目標が遠ざかっていってしまうのだ。

だから結果が出たらその都度リセットして、
自分も部下も許してしまうほうがいい。
自分を責めない。部下も責めない。犯人探しをやめるのだ。

ただし、肝心なのは、高い目標をおろさないこと。
断固として掲げ続けること。
それが、矛盾する2つを両立させる唯一の方法なのだ。
この考え方に至ったとき、
私はこれを次のように定義した。

「望めど欲せず、こだわらず」

「望む」とは高い目標を掲げる、ということ。
「欲せず」は結果を重視しないこと。プロセスで見る。
「こだわらず」は出た結果に拘泥しない。悪くても許そうということだ。
そしてまた、「望む」に戻る。
これをPDCAサイクルで繰り返していく。

高い目標を掲げる→チャレンジする→失敗する→許す→
高い理想を掲げる→チャレンジする→失敗する→許す……。

この考えに、私はなかなか至らなかった。
以前の私は、高い目標を掲げては皆を巻き込み、結果に固執した。
結果がすべてだった。
何が何でも目標を追い続けるハードなチームをつくろうとした。
そして、それができないと落ち込んだ。
目標未達成という結果に対して怒りを覚えた。
苦しまぎれにメンバーを責め立てた。
誰が悪いか犯人探しをし、
「ひとりひとりが責任を果たそう」とプレッシャーをかけ続けた。

だが、それによりメンバーの元気が失われ、
反発されたり、落ち込まれたりした。
そんなふうに元気のないメンバーを見るのはリーダーも苦しい。
だから、その苦しさから逃がれたくて、私は次に目標を下げた。
「最初から無理な目標だったのだ」とか
「達成できない目標を掲げ続けても無意味」や
「最初から目標が高すぎてやる気が出ないのかも」……などと、
自分にいろんな言い訳をして、
目標のバーを下げたり引っ込めたりしたのだ。

当時の私には二者択一しか思い浮かばなかった。
「望んで欲してこだわる」か、「望まず欲せずこだわらない」か。
振り子を大きく振り続け、右に揺れたり左に揺れたりしていた。
しかし、答えはそのどちらでもなかった。
「望めど欲せず、こだわらず」望みながら、こだわらない、
という第三の道こそが
折れない自分のつくり方であることがわかったのだ。

◎孔子も正しい。老子も正しい

高い理想を掲げるのは、論語の思想だ。
孔子は「君子たる者、かくあるべし」として、厳しい教えを説いている。
あまたのリーダーシップ論に引用されているので、
知っている方も多いだろう。

その考えと対極をなすのが老荘思想。老子と荘子の教えだ。
原点は「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」。
「上善」とは理想の生き方で、それが「水の如し」と説く。
水は器(相手)次第で形を変える柔軟さを持っている。
つまり、現状に適応する。
現状に逆らわない。
しかも高いところから低いところへ流れていく謙虚さを持っている。
人間もそのように生きるのが理想である、と説いた。

多くの研究家たちが、孔子の論語と老荘思想は正反対だと言ってきた。
矛盾し相容れない考えである、と。
そして、状況や場面によってこの教えを使い分けてきた。
景気がいいときは、高い理想の論語をもてはやし、
不景気になると、現状肯定型の老荘思想を紹介した。
あるいは、仕事では孔子、家庭では老荘がいい、等々。

私はそれに違和感を覚えていた。
なぜならばそのような使い分けができるかどうか、
私にははなはだ疑問だったからだ。
人は仕事と家庭で別人を演じることはできない。
見かけをつくろっても、必ず相手には見抜かれる。
私にはどちらの使い分けもしっくりこなかったわけだ。

しかし、この2つの思想。
一見相反するようでいても、同時に成り立つ解はないものか……。
私は考え続けた。そして、自分なりにしっくりとくる結論に至った。
それが「望めど欲せず、こだわらず」なのである。

◎許すことでギスギスした空気が消えた

「そうはいえ、オグラさん、結局のところ甘くなっちゃいませんか」
講演などで話をすると、たびたび受ける質問である。
「最後は許しちゃうわけですよね」
たしかにそのとおりだ。目標は掲げ続けるが、最後は許す。
許して相手に委ねる。
仮に目標を達成できなかった部下がいても、それを許すし、
その後、掲げ続けてる目標に向かって再度奮起するかどうかも、
部下に委ねる。
だが、何もせずに許し、委ねるわけではない。言うべきは言うし、
伝えるべきは伝える。必要なアドバイスやサポートを行う。
それが前提の許しだ。

さらに、私は私で、
なぜ部下に目標達成をさせてあげることができなかったかを考える。
至らなかった点を反省し、部下が次の目標へ奮起していく道筋をつくる。
そして今度は目標を達成できるように、
陰日向なく支えていくよう努力する。結局のところ、
第1章、第2章で書いてきたように、私が部下を変えることはできない。
その先は部下を信じ、任せるしかないのである。

私は、自分を許し、自分にOKを出してやると、
やる気がムクムクとわいてくる。
よしやろう、今度こそ頑張ろう、という気になっていく。
逆に自分に、NOを突きつけていた頃は、追い込まれて苦しくなった。
エネルギーが失われていたのだと思う。

人やチームも結局は、同じではないだろうか。
私の考えが変化し、部下への接し方が変わったことで、
組織の中に時折見られたギスギスした空気が消えた。
強制せず、迎合せず、望めど欲せずこだわらずを実践
するにつれ、それぞれが、それぞれの仕事に以前より向き合うようになった。
自分のお客様に対する責任感が格段に強まった。

役員を含むリーダーたちは、こまごまとした判断では私を待たなくなった。
それどころか、大きな判断でも、私の元に届いた時点で
一定の結論が出ているようになった。
リーダーの表情は曇らなくなった。
みんな意思を持って動くようになってきたのだ。
5年前、組織の屋台骨はまだグラグラだった。
だが今は、私がいなくても安定的に機能している。
それぞれのリーダーシップで会社が動いている。

もしまたどこかで壁にぶつかっても、私は自分を許し、相手を許し、
何回でもやり直すだろう。そしてまた、望めど欲せずこだわらずで
PDCAを繰り返すだろう。

私の意思もまた、強くなった。

ちょっとやそっとでは折れなくなってきたように感じている。

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