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1月21日配信 一偶を照らす vol.7『子供を生きれば大人になる』



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【 アンコール傑作選 】

本メルマガは、2011年1月19日に配信したバックナンバーをアンコール傑作選
として再度お送りするものです。


「ご冗談でしょう」と笑われるが、ひどい人見知りだ。
「意外ですね」と言われるほど、気を遣う。「もっと気楽にすれば?」と助言
もいただく。それができるのならばとっくにやっている。

出したくてもなかなかに素が出せないのだ。だから「ざっくばらん」「豪放磊
落」にあこがれる。45歳(当時)にもなって、まだまだ心を開けない臆病者だ。

子供の頃からそうである。なぜなんだろう?何度も考えた。
もっと気を遣わずにいられたら、どんなに楽だろう。そして、たくさんの心理
学の本を読んでいた時にある言葉に出会った。

アダルトチルドレン

どうやら僕はアダルトチルドレンであるようなのだ。ビル・クリントン元大統
領や、日本では女優の東ちづるさんなどがカミングアウトしている心にケガを
負った状態だ。

僕の場合は仕事柄、心理学の本を読む機会が多いから、自分がそうであること
に自己診断で気がついた。しかし、いまだに自分がアダルトチルドレンである
ことに気づいていない人も多いのではないか、と僕は思う。


アダルトチルドレンとは、
「幼少期に両親から正当な愛情を受けられず、精神的・肉体的な虐待を受け続
 けて成長し、社会生活に対して違和感があったり、子供時代のダメージに悩
 み苦しみを感じる人々」を指す。


この言葉の発祥の地であるアメリカではアルコール依存症の親を持つ子供たち
の精神的疾患として研究が始まった。しかし、現在では、アルコール依存症や
薬物依存癖に関わらず、何らかの理由で機能不全に陥っている家庭で育った人
全般が対象とされている。


上記の定義に記された「虐待」とは何も特別な暴力に限らない。例えば、精神
的虐待の代表的な一つに「条件付きの愛情」がある。


「テストでいい点数を取りなさい」「言いつけを守りなさい」。その親の期待
に答えれば褒められ愛情をもらえる。しかし、そうでなければ愛されない。ど
この家庭でも大なり小なりある現象。しかし、それも度を越えれば十分な精神
的虐待である。


親は自分の思う通りに子供を支配し、子供は本来得るべき正当な愛情を受けら
れずに育ってしまう。子供は親に見捨てられる恐怖におびえながら、親から求
められる子供の姿を必死に演じ続けて育つのだ。これは立派な虐待なのである。


例えば、両親の身勝手な感情で子供を虐待している家庭があったとしよう。暴
れる父親、泣く母親。それを目にしている子供はこう思う。

「僕が(私が)悪い子だから、こうなったんだ」

そして、ムリをして明るい家庭を取り戻そうとする。時には、親の期待に応え
る優等生のヒーロー、ヒロインもしくはプリンス、プリンセスとして振る舞う。
時には、自らの存在を消して手のかからない良い子、ロスト・ワンになる。


時には、問題ばかりを起こし親の愛情を買おうとするスケープゴートになる。
もしくは陽気でひょうきんなピエロやマスコットを演じ続ける。必死に両親の
機嫌を取り、家庭に笑顔を取り戻そうとするのだ。

それは、本来、子供がすべきことではない。


子供は子供時代に自由奔放、心のままに、自信満々で生きるべきだ。誰しもが
両親からたっぷりと愛され、自分が世界の中心であるかのように振る舞う経験
が、子供の頃には必要なのだ。

しかし、アダルトチルドレンはそれができずに育ってしまう。自由奔放な子供
の役割を両親に奪われてしまうからだ。

親が子供のように未熟だから、幼い子供が大人の役割をせざるをえなくなって
しまう。そうして、大人の役割を続け、子供を生きられなかった子供がやがて
成人してアダルトチルドレンになる。

その症状は、「他人に心を開けない」「過度に自分を抑える」「他人の承認、
賛同がないと落ち着かない」「自己否定やコンプレックスに悩まされる」「対
人関係を円滑に維持できない」など多種多様だ。そして、そのほぼすべてが僕
にも当てはまる。

そんな内容を本で読んだ時に僕は子供の頃のある場面を思い出していた。

「ヒロシ、もう疲れた。お母さん、どこか遠くへ行ってしまいたい……」。
母はそう言ってまた泣いた。

僕が小学校1年生の時に両親が離婚した。それ以来、母は毎日のように生活を
苦にし、幼子二人を育てていく将来を絶望して泣いていた。

「お母さん、そんなこと言わないで。どこにも行かないで」

子供の僕にはそれしか言うことができない。そして一緒に泣くことしかできな
かった。3歳年下の妹は何がおきているかもわからずに黙って隣でたたずんで
いた。

しかし、母は繰り返す。

「ヒロシ、お母さん、もうダメだ。遠くに行って帰ってこないかもしれない。
 ヒロシは、いい子になって頑張るんだよ」

僕は世界が終わってしまうような恐怖にさらされて泣きじゃくる。ひっく、
ひっく。話したくても声が出ない。わぁー、お母さーん。それしか言えない。

それを何度か繰り返した後に、母は僕をいきなり抱きしめていつも必ずこう言
った。

「ヒロシ、かわいい私の宝ポッチ。かわいい、かわいい宝ポッチ……」

そうして泣きつかれ、酒に酔いつぶれ、やがて眠ってしまうのだった。そんな
ことが毎晩のように繰り返された。

僕は母が泣き出すと、決まってある儀式を自分に課して執り行っていたことを
思い出す。

母が泣く。僕は母を守りたい。でも、小学校1年生の僕には何もできない。そ
れが悔しくて歯がゆくて情けなくて。僕はそんな自分が許せなかった。母に申
し訳ない、と思っていた。

だから僕は僕を罰した。

真冬でも毎日はいていた半ズボンの裾から出ている太ももを繰り返し何度も何
度も、思い切り爪でつねっていたのだ。紫色になるまで、自分が十分に傷つく
まで。

母の痛みと同じくらいに自分を傷つけていた。そうしなくてはその場にいる資
格がない。母に申し訳ない。そう思っていたからだ。

今になって僕にはわかる。それは一種の自傷行為である、ということが。そし
て、母の取っていた行動が心理的な虐待行動であったということが。

子供を繰り返し不安な思いにさせ、子供に依存される。それが母にとって唯一
の救いだったのだ。「行かないで」と後を追われることで自分の存在価値を確
認していた。そうしなくてはいられなかった。母の弱さが今となっては痛いほ
どによくわかる。

しかし、だからといって僕は少しも母を責める気にはなれない。かわいそうな
母親だったのだ。子供を犠牲にしてまでも自分の弱さを埋めなければならなか
った。それほどに生きるのが辛かった。ただそれだけなのだ。

僕が幼少時代に育った家庭では、奔放に生きていたのは父親と母親だった。二
人はまるで子供のように家庭で振舞っていた。だから、バランスを取って僕は
大人の振る舞いをした。

僕は子供らしく生きることを失った。そうして子供を生きずに大人になった。
アダルトチルドレンの完成である。

そんな僕は今、たくさんの人に支えられて子供時代を生き直している。子供ら
しく生きることを取り戻そうとしているのだ。

今の僕は、もう、優等生を演じなくてもいい。そんなことをしなくても済むよ
うな家庭や職場、友人に恵まれているからだ。だから、少しずつ地を出し、ワ
ガママを言わせてもらうようになっている。

やがて、遠くない将来に、僕はアダルトチルドレンを脱することができるだろ
う、と思っている。いや、すでに卒業をしているのかもしれない。

子供を生きれば大人になれる。

子供を生きられなかったから大人になれない。

おそらく、無自覚に子供を虐待し、犠牲にしてきた親たちもきっと誰かの犠牲
者だったに違いない。そんな負の連鎖を断ち切るのだ。僕たちが断ち切ってあ
げなければならない。

あなたの周囲にもきっといるに違いない。

他人に心を開けない、過度に気を遣う、人見知りが激しい、そんな人たちが。

もしかしたら、彼、彼女はアダルトチルドレンなのかもしれない。そんな時は、
彼らを優しく見守ってあげてほしい。彼らが心を開けるような環境をそっと作
ってあげてほしい。


そして、彼らが自分を好きになれるように。自信と自己信頼を取り戻せるよう
に、手を貸し心をかけてあげてほしいのだ。


小さな目標を設定して、それを乗り越え自信をつける。そんな手助けをしてあ
げてほしい。僕たちリーダーにはそれができる。それこそが僕たちの役割なの
だから。


株式会社小倉広事務所 代表取締役 小倉広

(プロフィール)
https://i-magazine.jp/bm/p/aa/fw.php?i=ogurahiroshi&c=11&n=1187

【 編集後記 】

本日より、毎週月曜日は過去のメルマガ傑作選をお届けすることになります。
本編は、2年前に配信し、大きな反響のあったコラムです。

「小倉さんのような方がここまで赤裸々にカミングアウトするとは……」
「たくさんのアダルトチルドレンが勇気づけられたと思います……」
「このコラムを読んで、私もアダルトチルドレンだと初めて気づきました…」

辛かった過去に蓋をして隠しても決して消えてなくなりません。そうではなく
しっかりと見つめ直し、その意味を再構築するのです。辛かった過去を受け容
れる。自分も辛かったが相手も辛かった。仕方がなかったんだ、と受け容れる。
それができたときに初めて過去を乗り越えることができるのではないでしょうか。

過去を変えることはできません。しかし、過去に対する意味づけを変えること
はできる。私はそう思います。

では、あさって水曜日の配信をお楽しみに!

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