経営コンサルタント、ビジネス書作家、人間塾・塾長

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1月11日配信 一偶を照らす vol.6『 掃除をすると謙虚になれる』



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手の指先がささくれアカギレが痛いので、仕方なくゴム手袋を使っている。
風呂掃除の洗剤が強力過ぎて手が荒れてしまうのだ。

毎朝、自宅の風呂掃除、自宅とオフィスのトイレ掃除、床掃除をしているため、
手が荒れて仕方がない。掃除の後で、クリームをすり込んでいるがそれでもカ
サカサに乾いてしまう。しかし、心はしっとりと潤っている。毎朝の掃除を始
めてから自分のことが少し好きになってきたような気がする。

初めて掃除をしよう、と思い立ったのは、今からちょうど一年前。イエロー
ハット創業者の鍵山秀三郎さんが主催する「日本を美しくする会」「掃除に学
ぶ会」にて、街頭清掃をさせていただいてからのことだ。早朝まだ暗い5時半
に新宿もしくは渋谷の駅前に200名ほどのボランティアが集まり、1時間街頭
清掃をする。体の大きい私はいつも腕力が必要な道路脇のどぶさらい担当に指
名していただく。それから一時間、真っ白な息を吐きながら歌舞伎町や道玄坂
の汚れた道路を清掃する。手は真っ黒に汚れるが、その分心がきれいになる。
その素晴らしさを教えていただいたのが一年前のことだ。

毎月のこの活動。仕事の都合もあり、私はまだたったの五回しか参加していな
いが、参加する度に胸が痛くなることがあった。それは、自宅の掃除ができて
いない、ことが原因だった。街頭のどぶさらいやトイレ掃除をしておきながら、
自宅の風呂やトイレが何週間も掃除できていないことがあった。すると、胸が
痛むのだ。人様の掃除をする前に、自分の家の掃除をしたらどうか?と。やが
て、それが恥ずかしくなり半年ほど前から毎朝掃除をするようになった。その
結果のアカギレと手荒れである。

掃除をしていると気づくことがとても多い。まず最初に気づくのは、「きれい
な環境が当たり前ではない」ということだ。例えば私たちが何気なく利用する
ホテルや飲食店のトイレや玄関。私たちはそこがきれいに保たれているのは
「当たり前」だと思い、感謝することなどは思いも寄らないだろう。しかし、
それは間違っている。そこがきれいに保たれているのは、誰かがきれいに掃除
をしてくれているお陰。感謝すべきことなのだ。

「いやいや小倉さん。それは違うよ。だって、僕たちはお金を払って店に入って
いるんだ。掃除くらいしてもらうのは当たり前だよ」という人がいる。しかし、
私はそうは思わない。例え、お金を払っていようが、きれいに掃除してもらえ
ている、ということは奇跡のようなことなのだ。私がジョギングをしていると
きに通る麻布十番の網代公園で私は毎朝、奇跡を見せていただいている。毎晩
のように酔っ払いが集まり、空き缶やコンビニ弁当などで汚れた公園が翌朝に
は奇跡のように清潔に保たれているのだ。

ゴミはすべてきれいに片付けられ、トイレはピカピカに磨き上げられ、土と砂
の地面にはきれいにホウキの目がついている。これが奇跡でなくて何だろうか。
網代公園の清掃担当の方はもちろん、港区に雇われ給料をもらっていることだ
ろう。その給料の元となっているのは私たち港区民の税金だ。だから私は「金
を払っているんだからきれいにしてもらうのは当たり前だ」ということもでき
るだろう。しかし、私にはとてもではないがそんなことは言えない。掃除を始
めるようになってからそれが奇跡であることがよくわかるようになったからだ。

掃除にはマニュアルがない。大まかにすべきことは規定されていてもどこまで
細かく心を込めるか、はマニュアルには書かれていない。それは掃除をする人
の「良心」に委ねられているのだ。私は毎朝、風呂掃除をするときに誘惑が
襲ってくる。「今日は仕事が忙しくて時間がないから、床をブラシで磨くこと
は省略したらどうだろうか?」「何も洗面器の裏側や椅子の裏まで磨かなくて
もいいだろう」「排水溝のネットまでも磨かなくても1日くらいさぼってもい
いだろう」こんな誘惑が毎朝のように襲ってくるのだ。

そして、その誘惑に負けて掃除をさぼってしまっても、おそらく誰も気づかな
いだろう。たった一日、風呂の椅子の裏側を磨かなくても外見上は何も変化は
ないからだ。さぼろうと思えばいくらでもレベルを落とすことはできる。しかし、
私は欠かさず椅子の裏側を磨いている。蛇口の裏、トイレの便器の裏側も磨い
ている。やるかどうかは自分が決める。誰も見ていなくても自分の良心が、そ
してお天道様は見ているからだ。そう自分に言い聞かせて裏側を磨いている。

それと同じことが網代公園で起きている。私は、だからこそ奇跡だ、と言って
いるのだ。そして、毎朝掃除をしてくれているおじさんとおばさんを見かける
と深く頭を下げずにはいられない。「いつもきれいにしてくれてありがとうご
ざいます」と感謝の言葉を伝えずにはいられない。自宅での掃除を始めてから
そんな風にたくさんのことに気づかされるようになってきた。

NPO法人「日本を美しくする会」のホームページに以下のような言葉が書いて
ある。

⇒ http://www.souji.jp/katsudou/restroom.html

「心を磨くトイレ掃除」



1)謙虚な人になれる
どんなに才能があっても、傲慢な人は人を幸せにすることはできない。人間の
第一条件は、まず謙虚であること。謙虚になるための確実で一番の近道が、ト
イレ掃除です。

2)気づく人になれる
世の中で成果をあげる人とそうでない人の差は、無駄があるか、ないか。無駄
をなくすためには、気づく人になることが大切。気 づく人になることによって、
無駄がなくなる。その「気づき」をもっとも引き出してくれるのがトイレ掃除。

3)感動の心を育む
感動こそ人生。できれば人を感動させるような生き方をしたい。そのためには
自分自身が感動しやすい人間になることが第一。人が人に感動するのは、その
人と手と足と体を使い、さらに身を低くして一所懸命取り組んでいる姿に感動
する。特に、人のいやがるトイレ掃除は最高の実践道場。

4)感謝の心が芽生える
人は幸せだから感謝するのではない。感謝するから幸せになれる。その点、ト
イレ掃除をしていると小さなことにも感謝できる 感受性豊かな人間になれる。

5)心を磨く
心を取り出して磨くわけにいかないので目の前に見えるところを磨く。特に、
人の嫌がるトイレを きれいにすると、心も美しくなる。 人は、いつも見てい
るものに心も似てくる。


まさにその通りの体験を私はさせていただいている。

「日本を美しくする会」で、初めて渋谷の街頭清掃をさせていただいたときの
ことを今でも鮮明に覚えている。勝手がわからずダウンジャケットを着ていった
私は、地面に寝転ぶことをためらい、半身で清掃をしていた。吸い殻と落ち葉
だらけの道玄坂のどぶで泥をすくうのが上手にできず、私はもたもたとしてい
たのだ。すると、汚れたエプロンをつけ軍手をしたおじさんが道路にべったり
と寝転んで、道具も使わずに素手で落ち葉と泥を掻き出し始めた。私は、汚れ
ることをためらった自分を恥じた。そして知った。私の目の前で素手で泥を掻
き出した人こそが、鍵山秀三郎さんその人であったのだ。

鍵山さんは200名のボランティアに混じり、自己紹介もスピーチも一言も言
わず、黙って黙々と掃除をしていらっしゃった。時間が過ぎ、私たちが帰った
後も残り、掃除道具を磨き、集めたゴミを分別していた。リーダーとはどうあ
るべきか。鍵山さんは、黙々とその背中を見せ続けてくださったのだ。

明日も私は自宅の風呂掃除、自宅とオフィスのトイレ掃除、床掃除をするだろ
う。手はさらにカサカサに荒れることだろう。そして心が潤うだろう。手が汚
れ、心が少しだけキレイになるだろう。どちらの人生が良いか。私にとっては
明白だ。アカギレに絆創膏を貼りながらそんなことを思った。

株式会社小倉広事務所 代表取締役 小倉広

【 編集後記 】

先週号の vol.5.「良くないことを『先払い』する」よりスタートした、小倉広
事務所からの独自サーバー配信。しかし、その結果は惨憺たるものでした。

せっかくお申し込みいただいた皆さんの手元に届いたのは、推定半数程度。
システムのトラブルから多くの方にメルマガが届かなかったのです。楽しみに
してくれていた皆さんには大変ご迷惑をおかけしました。改めてこの場を借り
てお詫びを申し上げます。

さて、本日からは配信サーバーとシステムを変更してお届けしています。後ほ
ど管理者画面から何通が読者の皆さんに届き、何通届かなかったかがすぐに確
認できる模様。今後は皆様をがっかりさせないよう、安定配信に努めて参りま
す。どうぞよろしくお願い致します。

では、来週もお楽しみに!

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