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小倉広メルマガvol.316 「自分たちで決めた」という意識がメンバーを動かしていく


vol.316 『「自分たちで決めた」という意識がメンバーを動かしていく』 
出典:「マネジャー」の基本&実践力がイチから身に付く本



◎ビジョン、方針、目標。決めるときは「全員のコンセンサス」を得る

チームのビジョンや方針、目標など、
大事なことほどメンバー全員のコンセンサスを得ることが必要です。

メンバー全員を巻き込んで、コンセンサスを得ながら決めていくのは、
確かに時間と手間がかかります。
しかし、これを行うことでビジョンや目標の浸透度は全く違ってくるのです。
まずは、メンバーの不平や不満、疑問から全員順番に聞いていきます。
もちろん、聞きっぱなしはダメです。
マネジャーはメンバーの声を受けとめ、その場で誠実に答えていきます。
「これは誤解だと思う。でも、こういうことしてたら、
君は成長できないと思うよ」とか、
「自分はそんなつもりはないし、そんなチームにはしたくない」など、
メンバー全員の前で答えていくのです。

もしも、首を傾げているメンバーがいれば、「何かおかしいと思う?」
と聞いていきます。そうして、一つひとつの誤解を解いていく。
マネジャーとメンバーの意見を対立させるのではなく、
融合させて一緒にしていく過程が必要なのです。

◎一つ高い視点から「メンバーの気づき」を促そう

マネジャーは、会議のときもファシリテーター(進行役、活性役)的な
役割をこなしますが、決してファシリテーターではありません。
なぜなら、純粋なファシリテーターになってしまうと
自分の意見が言えなくなってしまうからです。

マネジャーは意思決定する人ですから、決定には責任があります。
ファシリテーターに全員の意見を聞くけれども、
チームの一員として絶対に発言しなければなりません。
ここでマネジャーの話が説得力を持つのは、
一つ高い視点から話ができるからです。
現場の話を聞きながらも、必ず一個視点をずらしていきます。

たとえば、「年商10倍。日本一」という目標があったとしましょう。
「そんなの無理です。できっこありません」という声が上がったとき。
「売上10倍っていうと大変に感じるかもしれないね。
でも、150パーセントを6年続ければ10倍になっちゃうんだよ」と、
視点を少し変えてあげるだけで、メンバーにハッとした気づきが生まれ、
気持ちが前向きに動くのです。

「そう考えてるのかぁ。
でも、そんなことやっても幸せになれないんじゃないの?」
「でも、それって、ここの点を考えたことがないからじゃないの?」
こうした問いを投げかけて、メンバー自身にどんどん考えさせ、
意見をまとめていくのです。現場を知っているマネジャーであれば、
これは必ずできるはずです。

◎決めたからには「何とかして達成したい」と心が動く

このように、みんなの意見を聞いた上で、前向きな結論に向かうように
舵取りをしていくのが、マネジャーの腕の見せ所です。
ここで重要なのは、「みんなで決める」ということは、
「みんなの意見にそのまま賛成することではない」ということです。

「だったら、結論はすでにマネジャーの頭の中にあるんだから、
わざわざこんな回りくどいことしなくてもいいんじゃないの?」
と思う人もいるかもしれません。
しかし、そうではないのです。

メンバーに本気で動いてもらうためには、
「自分たちで決めた」という意識を持ってもらうプロセスが
何より大事なのです。

オープンな雰囲気で言いたいことを言い、
マネジャーや仲間同士の発言から気づきを得て、
自分たちで考えてたどりついた結論だからこそ、初めて心から賛同し、
前向きに動き出そうという気持ちになれるわけです。
「自分たちで決めた」という思いは、
「何とかして達成したい」という強い思いに変わります。
この思いがチームで目標を達成するために欠かせないものなのです。

こうしてビジョン、方針、目標がメンバー全員に浸透すると、
自発的にメンバーが声を上げるようになります。

「それ、ビジョンと合っていないんじゃないの?」
「これ、みんなで決めた行動指針とズレてない?」
「こんなことやってて、日本一になれるのかな?」
マネジャーもメンバーも、チームのビジョンや方針、目標を共通言語にして
意見を交わし、同じゴールを目指していくことができるのです。
こうしたチームは成長し、どんどん強くなっていきます。

チームのビジョンや目標は、みんなで確認しながら、
自分たちで作り上げるプロセスを経ていくことで、
初めてメンバー一人ひとりのものになっていくのです。

小倉広メルマガvol.315 既に「課長の仕事」をしている人を後から課長にする


vol.315 『既に「課長の仕事」をしている人を後から課長にする』 
出典:任せる技術



◎課長になってからやります、という人はなってもやらない

これまで講演や研修で3万人以上の管理職や管理職候補たちと
向き合ってきた。彼らは皆一様にリーダーシップの問題を抱えている。
その中で意外なくらいに多い課題が、
「役職がないから遠慮してしまうんです……」というものだ。

「小倉さん、僕はまだ課長になる前の主任です。
その僕が課長のようにリーダーシップを発揮することはできません。
いや、やってはいけないと思っています。
それは職権を逸脱しているからです」
なるほど。言葉だけを聞くと正しく聞こえる。
しかし、どうも腑に落ちない。
彼の言葉の裏側に、言葉とは裏腹な責任逃れのようなものが見え隠れするからだ。

僕の経験からはっきり言おう。
この手のタイプの人は課長になっても課長の仕事をきちんとやらない。
そもそも世に存在する仕事の多くは職務記述書の範囲を超えているものだ。

それに目くじらを立て杓子定規に主張する人が
自己犠牲や献身を求められるリーダーの職を全うできるはずがないのだ。
「金がないから何もできないという人間は、
金があっても何もできない人間である」、
阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者・小林一三氏の言葉である。
「課長の肩書がないから何もできないという人間は、
課長になっても何もできない人間である」。そういうことだ。

そんな時、僕はかつてお世話になっていたリクルートという会社の例を話す。
リクルートのリーダーたちは、課長になってから課長の仕事をするのではない。
それでは遅すぎるのだ。
そうではなく、課長になる前からグイグイとみんなを引っ張り、
リーダーシップを発揮している者を課長にするのだ。
「既に『課長の仕事』をしている人を後から課長にする」
これが健全な組織のあり方だと僕は思う。
そもそもリーダーシップとは肩書や権限に頼らずに
属人的な影響力や信頼関係で人を動かす力を指す。
公式な権限や予算で人を動かすのはマネジメントという行いだ。

部下に「ムリして任せる」時は、マネジメントを求めてはいけない。
肩書に関係なく発揮できるリーダーシップを求めるのだ。

◎肩書なしでインフォーマルに要望する

「小倉さん、そうは言っても肩書なしで課長の仕事を
任せるわけにはいきません。
具体的にどうすればいいのですか?」。
多くのリーダーはこんな質問を僕に投げかけてくる。
答えは簡単。
インフォーマルに任せればいい。

インフォーマルとは「非公式」という意味だ。
つまりは「非公式」にできる範囲で任せていけばいい。
例えば「公式な」権限としては、
決裁の印鑑を持たせることはできない相手に
「稟議決裁の経験」をしてもらいたい、という場面を想定してみよう。
その場合、捺印を彼に任せることはできないが、
直前までの「決断」を求めることは可能だろう。

僕のクライアントに器の大きな経営者がいる。
彼は30歳になったばかりの若手執行役員を育てるために、
彼の出す決裁書類をよく見ずに判を押す、と言うのだ。
「おまえがやりたいならばオレはそれを信頼する。
その代わりいい加減な稟議をあげるなよ」
そう言って彼に実質的な稟議決裁を任せている。
社長の疑似体験をさせているのだ。

僕はかつてリクルートにお世話になっていた頃、
課長でもないのにチームメンバーの一次人事考課を任されたことがある。
課長は言った。
「オレは現場の細かいところまではよくわからん。
小倉の方がよく見えているだろう。
だからおまえの考課をそのまま一次考課にするよ。
シートを記入したら詳しくその理由を教えてくれ」
僕は管理職の仕事の中で一番大切な人事考課を
疑似体験することができたのだ。

僕が在籍していた古き良き時代のリクルートには
不思議な役割や呼称がたくさん存在した。
01 (ゼロワン) などはその最たる例だろう。

社員コード番号の頭に01がつく人が、その部署のリーダー格。
つまりは次期課長候補だったことからその呼称が生まれたと聞くが、
真偽のほどはわからない。
僕たち社員は当たり前のように01が誰であるかを知っていた。
例えば新宿支社営業2課の課長は山田さん、01は須藤さん、というふうに。
しかし、課長はフォーマルな職位であったが、
01はインフォーマルな役割だった。
つまりは、01には何一つ権限もなければ、役職手当もない。
しかし、皆から現場リーダーとして認められ、多くの責任を負わされていた、
いや自ら進んで負っていたのだ。

業績数値のとりまとめ、後輩の人材育成、あらゆる場面での現場の取りまとめ。
プレイヤーとして最高レベルに高い目標を持ちながら、
課長の仕事をほぼすべてやっていたのだ。

責任だけ重く、それに見合った報酬はないインフォーマルな役割である01。
しかし、彼らはその責任に誇りを持ち、
誰一人としてやらされ感を持つことなく職務を全うしていた。

そうして現場でリーダーシップ発揮を実践し、
「既に課長の仕事をしている」彼ら01を会社は「後付けで課長にした」のだ。

人はごく自然に成長するのではない。任されて育つ、のだ。
僕たち管理者はその環境を「意図的に」つくらなくてはならない。
インフォーマルな役割をつくり出し、
「任されて育つ」環境をつくり上げなければならないのだ。

小倉広メルマガvol.314 誰かと話し中の人に話しかけない


vol.314 『誰かと話し中の人に話しかけない』 
出典:何をやってもうまくいかないあなたがたった1分で自分を変える100の方法



会社である部下と話していたときのこと。
別の部下がやって来て、
「すみません小倉さんちょっといいですか。この書類を見てほしいのですが」と
書類を差し出してきました。
話を中断し、この書類を受け取った私は、
「いまは○○君と話をしていたのだけど」「待てなかったのかなあ」と思いました。

そのときにふと過去の自分を思い出し、
とたんに恥ずかしくなりました。
20代、30代の頃、自分もさんざん同じことをしていたからです。

以前の私は、自分の要件のほうが重要だと思ったら、
上司がほかの人と話していても、
気にせず「すみません」と割り込んでいました。
話していた相手があきらかに嫌な顔をしても、
「こっちのほうがキミの話より重要なんだから、しかたがないだろう」
と思っていました。

たしかに仕事の重要性だけを比べたら、
私の要件のほうが重要だったのかもしれません。
しかしさまざま経験をして気づいたのですが、
人間関係においては、どちらの話が重要で、
どちらの話が重要でないといったことは関係ないのです。
本人にしてみれば、どちらの話も同じく重要で、そこに優劣はありません。
それなのに「自分の話のほうが重要だ」と考えて割り込むのは、
非常に失礼な話です。
優劣をつけている限りは、人間関係はうまくいかない。
そのことがわかってからは、
私は優劣を考える癖をなくすよう心がけています。

そもそも、相手がほかの人と話していたら
順番を待つのはルールでありマナーです。
そこを自分の判断lつで、
順番を飛び越していいと考えること自体、おかしな話。
もちろん緊急事態の場合は別です。

私も待つことによって
お客様に多大な迷惑をかけてしまうようなときは
やむなく話しかけることはあります。
しかし基本は順番を待つ。
順番を待つことはルールを守るだけでなく、
勝手に「重要か重要でないか」の判断をしない訓練にもなっています。

小倉広メルマガvol.313 上司の立場になってごらん。景色がまるで違って見えるはず


vol.313 『上司の立場になってごらん。景色がまるで違って見えるはず』 
出典:任せてもらう技術



◎部下から批判を浴びた新米上司だったころ

僕が初めて上司になったのは、コンサルティング部に異動してから1年後、
30歳になったときだった。
僕は6名のメンバーを部下に持つ課長になった。
そして初めて、
部下から批判される上司の立場というもののキツさを痛感することになった。

課長になった当初、僕はいい上司ぶって、
「皆の意見やアイデアを大事にしたいから、
どんどん自由にやっていいよ」と豪語した。

だが、実際に部下たちが自由に動き始めると、
「そんなことをしたら失敗するぞ」「こうしたほうがうまくいくのに」
という点ばかりが自につくようになった。
そして僕は我慢しきれず、皆のやるととに口出しをするようになった。
だが、そんなことをすれば、当然部下から文句が出る。
「最初にいったことと違うじゃないですか」と
部下たちから責められた僕は、うろたえてしまった。
課長という肩書きがあるとはいえ、1年目の新米上司だ。

上司としての自信がなかった僕は、
「ちょっと口を出し過ぎたかもしれない」と反省し、
「やっぱり自由にやっていいよ」と前言を撤回した。
ところが、横で部下の仕事を見ていると、どうしても口を出してしまう。
振り子のように右へ左へとフラフラ揺れる僕の態度を見て、
部下はますます批判を強めた。

「あの人、いっていることとやっていることが全然違うよね」
「小倉さんって、ブレすぎだよね。振り回されるこっちの身にもなってよ」
そんな声が耳に入るようになると、僕はますます自信を失い、落ち込んだ。
そしてとうとう、うつ病になってしまったのだ。

結局、僕は自らの上司に申し出て、課長の役職から降りることになった。

◎ 「△」「△」「△」から1 つを選ぶのが上司の仕事

今から思えば、部下のいうことはもっともだった。
僕だって自分が部下の立場なら、同じように僕を批判しただろう。
ただ、部下の人たちにわかってほしいのは、
上司がどんな意思決定をしても、
部下はいくらでも文句がいえてしまうということだ。

意思決定は上司の重要な仕事だ。
しかしそれは、いくつかある選択股のなかから正解の選択肢を選ぶ、
というような簡単な仕事ではない。
たとえば、「○」「△」「×」という選択肢が与えられた場合、
「○」を選べばよいことは、小学生にだってわかる。

だが、上司に任される意思決定はそれとは違い、
「△」「△」「△」の中から1つを選ぶという作業なのだ。

たとえば、「ある商品の売上総額をアップするにはどうするか」
という意思決定を迫られたとする。
選択肢の1つは、商品の価格を上げることだ。
それなら、販売個数は同じでも、売上の総額を増やすことはできる。
だが、現場の営業からは猛反対される。
価格が上がったら、そのぶん販売個数は少なくなる可能性が高いからだ。

では、商品の価格を下げたらどうか。だが、価格を下げたら下げたで、
今度はそのぶん、販売個数を増やさなくてはいけない。

価格を見直さない、という選択肢もある。
しかしそれでは、現状維持が続くだけだ。

3つの選択肢は、どれも「△」だ。どれを取っても、
「とれが一番いい」という訳ではないし、
「このなかから一番マシなものを選ぶ」ということでさえない。

進むも地獄、戻るも地獄、とどまるのも地獄。
どれを選んでも地獄とわかっていながら、
それでもどれか1つを選ばなくてはいけない。
これが上司に課せられる意思決定だ。

そして、どれを選んでも「△」だから、
部下たちは「なぜ○じゃないのか」と文句をいえる。
上司はどんな決定をしても、部下から責められる運命にある訳だ。

上司が日々、そんなギリギリの意思決定を迫られているなんて、
自分が部下だったとろには想像もしなかった。
だから僕は簡単に、上司を批判しまくっていたのだ。
「部下に仕事を任せるか、任せないか」の意思決定だって同じことだ。

部下の吉木君(仮名)に任せれば、彼のモチベーションは上がるし、
経験値が増えて成長できるだろう。
だが、吉木君の現在の能力では、任せて失敗するリスクもある。
上司にとっては、どちらの選択も「△」だ。

部下は簡単に「任せてほしい」というけれど、
上司にしてみれば、厳しい選択を突きつけられていることになる。
僕は上司の立場になってみて、見える景色ががらりと変わった。
それは部下のころには想像もしなかったような別世界だった。

小倉広メルマガvol.312 稼げる社員の何を評価するか


vol.312 『稼げる社員の何を評価するか』 
出典:とにかくすぐに「稼げて・動けて・考えられる」社員のつくり方



◎三大指標・役割、成果、能力をかけ算で

一般的な人事制度では、「資格等級」という骨組みをまず先に固めます。
そして、その等級の中での格差を「評価」により決定する。
つまりは縦軸と横軸の二軸で決定するのがオーソドックスな方法です。
そして、その二軸を何にするか、が問題となるわけです。
年功序列が崩壊した現在、もっとも頻繁に使われる指標が
「役割(職務)」「成果」「能力」の3つです。
このうちのどれかひとつ、最も重要な指標を資格等級の骨格とし、
2つ目を評価基準にする。
そして、3つ目を手当として補完する、という方法が
スタンダードな考え方となるでしょう。

昨今のトレンドとして最も多いパターンを例に組み合わせを見てみましょう。
まずは第1の指標、資格等級の骨格を「役割(職務)」で決定します。
例えば、営業部長は5等級。
専門職営業で難しい顧客や高い目標を持つ
専任部長(プレイヤーだが部長クラス)の等級は4等級。
部下を持つ営業課長は3等級。プレイヤーの専任課長なら2等級のように、
仕事の種類=役割(職務)に応じて資格等級を定めます。
そしてそれぞれの等級内で、「成果」により評価に差をつける。
同じ専任課長の2等級内でも、
成果が高ければ等級内での上限に近い給与となり、低ければ下限に近い給与となる。
このように等級と評価をかけ算で決定するのがオーソドックスなやり方です。

◎もっと成果を強調したい時は

先に昨今もっとも一般的な指標の例として、組み合わせた例をあげました。
しかし、それを見た上で
「もっと成果を強調したい。なんならフルコミッションでもいいくらいだ!」
と過激な声をあげる経営者が多くいらっしゃいます。
しかし、資格等級を「成果」で定める、ということは、頻繁に骨格が変わる、
ということを意昧します。
つまりは、3ヵ月後、半年後の給与がまったく計算できなくなる。
これでは住宅ローンの計算も成り立たず、
あまりに個人の生活が脅かされてしまう。生活不安の恐怖が先に立ち、
社員本来の力が出にくくなるケースが多いようです。

そこで、さらに「成果」を強調したい場合によくやる方法が、
「役割」の定義を目標金額で決定する、という方法です。
例えば、営業を例にとるならば、目標金額1千万円以上の専任課長は2等級。
それ未満の目標金額ならば4等級のように、
結果ではなく目標で等級を定めるのです。
そして、目標を緩やかに結果と連動させる。
あまりに成果が低い社員の目標は高く設定しないようにすればいいのです。

つまり、目標金額が役割である、という定義の方法。
そして、この縦軸に対する横軸として
目標達成度をかけ算して給与を決めていくのです。
この方法ならば、あまりに給与が上下動するリスクをなくしながらも、
経営者が考える、より直接的な業績連動型給与を設定できる。
現実的に最もドラスティックな評価給与制度のひとつと言えるでしょう。

◎数字で計りにくい間接部門をどう評価するか

これまでのところで営業などの直接部門の評価対象が見えてきました。
しかし、ここでぶちあたるのが、数字で成果を計りにくい
間接部門の評価をどうするか、というお馴染みの課題です。
正直に申し上げて、これを100%解決する方法はない、と思います。
ただし、できるだけ100%に近づけるために
少しでも納得性ある方法を考えることはできるかもしれません。
いちばん大きな次元での担保策は、出現率での相対化です。

例えば、営業などの直接部門で3等級が10人。
同じく間接部門で3等級が10人いた、と仮定しましょう。
その場合、「優秀な人の出現率は同じである」、
という「仮定」を先に決めてしまうのです。
そして、A評価は2割、B評価は4割、C評価は2割と、
直接、間接部門での共通の出現率を定めます。
もちろん、これでは、直接部門と間接部門の部門間格差をなくすことにしかならず、
間接部門内での成果測定課題は引き続き残ります。
しかし、いちばん問題になりがちなのは、この部門間格差。

まずはここの問題を出現率管理で潰してしまえば、
間接部門内での成果測定は目標管理などを用いて比較的簡単に設計できるでしょう。
まずはこのようにして間接部門の問題を解決していきましょう。

小倉広メルマガvol.311 望めど欲せず、こだわらず


vol.311 『望めど欲せず、こだわらず』 
出典:折れない自分のつくり方



◎矛盾する2つの両立とは

厳しくて高い目標は掲げる。だが、失敗は許す。
その矛盾の両立は、私の中でも謎だった。
目標が高くて厳しければ、失敗の許容を狭め、
チームを厳しく戒めていかなければならない。失敗を許すなら、目標への
こだわりが薄れ、チームが緩む……。両立なんて無理、と思っていたのだ。

だがこの2つは、ちゃんと両立できるのである。

まずは、目標は高く掲げなければならない。
売り上げ何億円とか、シェア・ナンバーワンを目指すとか。
それを下げては元も子もない。
最初から目標を低く設定するリーダーはいない。
ここまでは、私も全面的に賛成をする。
だが、高い目標は、そうそう簡単には達成はできない。
やってみるとうまくいかないことだらけなのが実情だろう。

たとえば目標達成のためには、やるべきことを月単位、週単位、
一日単位のToDoリストに落とし込んでいくことが必要だろう。
今月は何千万円売り上げようとか、
この商品は何月までにリリースしようとか、
今日はこことここの得意先を回ろうとか。
このように細かく仕事をブレークダウンして、
現実的な目標をたくさんつくればつくるほど、
目標どおりにできないことが毎日のように起きてくる。

その時に大事なのは、「できなかった……」という
ダメな結果を引きずらず、
まずはいったん受け入れることだ。
精一杯がんばったなら、目標達成できなくても、
自分やチームにOKを出して許す。
結果にはこだわらないことだ。

その代わり明日からもう一度目標へ向けてがんばろう、
と切り替える。

終わった今日にこだわらずに、すぐに目標を再設定していくのだ。
「過去は変えられないが未来を変えることはできる」
未来へ集中するのである。
それとは逆に過去にこだわると、チームの生産性はどんどん落ちていく。
「達成できなかった。なんて、オレはダメなんだ……」と自己否定をしたり
「なぜお前らは決めたことをやらないんだ」と部下を責めたりしていると、
当然だがチームがギスギスする。
エネルギーがどんどん奪われていく。
覇気が失われ、
よけいに目標が遠ざかっていってしまうのだ。

だから結果が出たらその都度リセットして、
自分も部下も許してしまうほうがいい。
自分を責めない。部下も責めない。犯人探しをやめるのだ。

ただし、肝心なのは、高い目標をおろさないこと。
断固として掲げ続けること。
それが、矛盾する2つを両立させる唯一の方法なのだ。
この考え方に至ったとき、
私はこれを次のように定義した。

「望めど欲せず、こだわらず」

「望む」とは高い目標を掲げる、ということ。
「欲せず」は結果を重視しないこと。プロセスで見る。
「こだわらず」は出た結果に拘泥しない。悪くても許そうということだ。
そしてまた、「望む」に戻る。
これをPDCAサイクルで繰り返していく。

高い目標を掲げる→チャレンジする→失敗する→許す→
高い理想を掲げる→チャレンジする→失敗する→許す……。

この考えに、私はなかなか至らなかった。
以前の私は、高い目標を掲げては皆を巻き込み、結果に固執した。
結果がすべてだった。
何が何でも目標を追い続けるハードなチームをつくろうとした。
そして、それができないと落ち込んだ。
目標未達成という結果に対して怒りを覚えた。
苦しまぎれにメンバーを責め立てた。
誰が悪いか犯人探しをし、
「ひとりひとりが責任を果たそう」とプレッシャーをかけ続けた。

だが、それによりメンバーの元気が失われ、
反発されたり、落ち込まれたりした。
そんなふうに元気のないメンバーを見るのはリーダーも苦しい。
だから、その苦しさから逃がれたくて、私は次に目標を下げた。
「最初から無理な目標だったのだ」とか
「達成できない目標を掲げ続けても無意味」や
「最初から目標が高すぎてやる気が出ないのかも」……などと、
自分にいろんな言い訳をして、
目標のバーを下げたり引っ込めたりしたのだ。

当時の私には二者択一しか思い浮かばなかった。
「望んで欲してこだわる」か、「望まず欲せずこだわらない」か。
振り子を大きく振り続け、右に揺れたり左に揺れたりしていた。
しかし、答えはそのどちらでもなかった。
「望めど欲せず、こだわらず」望みながら、こだわらない、
という第三の道こそが
折れない自分のつくり方であることがわかったのだ。

◎孔子も正しい。老子も正しい

高い理想を掲げるのは、論語の思想だ。
孔子は「君子たる者、かくあるべし」として、厳しい教えを説いている。
あまたのリーダーシップ論に引用されているので、
知っている方も多いだろう。

その考えと対極をなすのが老荘思想。老子と荘子の教えだ。
原点は「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」。
「上善」とは理想の生き方で、それが「水の如し」と説く。
水は器(相手)次第で形を変える柔軟さを持っている。
つまり、現状に適応する。
現状に逆らわない。
しかも高いところから低いところへ流れていく謙虚さを持っている。
人間もそのように生きるのが理想である、と説いた。

多くの研究家たちが、孔子の論語と老荘思想は正反対だと言ってきた。
矛盾し相容れない考えである、と。
そして、状況や場面によってこの教えを使い分けてきた。
景気がいいときは、高い理想の論語をもてはやし、
不景気になると、現状肯定型の老荘思想を紹介した。
あるいは、仕事では孔子、家庭では老荘がいい、等々。

私はそれに違和感を覚えていた。
なぜならばそのような使い分けができるかどうか、
私にははなはだ疑問だったからだ。
人は仕事と家庭で別人を演じることはできない。
見かけをつくろっても、必ず相手には見抜かれる。
私にはどちらの使い分けもしっくりこなかったわけだ。

しかし、この2つの思想。
一見相反するようでいても、同時に成り立つ解はないものか……。
私は考え続けた。そして、自分なりにしっくりとくる結論に至った。
それが「望めど欲せず、こだわらず」なのである。

◎許すことでギスギスした空気が消えた

「そうはいえ、オグラさん、結局のところ甘くなっちゃいませんか」
講演などで話をすると、たびたび受ける質問である。
「最後は許しちゃうわけですよね」
たしかにそのとおりだ。目標は掲げ続けるが、最後は許す。
許して相手に委ねる。
仮に目標を達成できなかった部下がいても、それを許すし、
その後、掲げ続けてる目標に向かって再度奮起するかどうかも、
部下に委ねる。
だが、何もせずに許し、委ねるわけではない。言うべきは言うし、
伝えるべきは伝える。必要なアドバイスやサポートを行う。
それが前提の許しだ。

さらに、私は私で、
なぜ部下に目標達成をさせてあげることができなかったかを考える。
至らなかった点を反省し、部下が次の目標へ奮起していく道筋をつくる。
そして今度は目標を達成できるように、
陰日向なく支えていくよう努力する。結局のところ、
第1章、第2章で書いてきたように、私が部下を変えることはできない。
その先は部下を信じ、任せるしかないのである。

私は、自分を許し、自分にOKを出してやると、
やる気がムクムクとわいてくる。
よしやろう、今度こそ頑張ろう、という気になっていく。
逆に自分に、NOを突きつけていた頃は、追い込まれて苦しくなった。
エネルギーが失われていたのだと思う。

人やチームも結局は、同じではないだろうか。
私の考えが変化し、部下への接し方が変わったことで、
組織の中に時折見られたギスギスした空気が消えた。
強制せず、迎合せず、望めど欲せずこだわらずを実践
するにつれ、それぞれが、それぞれの仕事に以前より向き合うようになった。
自分のお客様に対する責任感が格段に強まった。

役員を含むリーダーたちは、こまごまとした判断では私を待たなくなった。
それどころか、大きな判断でも、私の元に届いた時点で
一定の結論が出ているようになった。
リーダーの表情は曇らなくなった。
みんな意思を持って動くようになってきたのだ。
5年前、組織の屋台骨はまだグラグラだった。
だが今は、私がいなくても安定的に機能している。
それぞれのリーダーシップで会社が動いている。

もしまたどこかで壁にぶつかっても、私は自分を許し、相手を許し、
何回でもやり直すだろう。そしてまた、望めど欲せずこだわらずで
PDCAを繰り返すだろう。

私の意思もまた、強くなった。

ちょっとやそっとでは折れなくなってきたように感じている。

小倉広メルマガvol.310 『感じた』ら すぐに『動く』


vol.310 『感じた』ら すぐに『動く』 
出典:35歳からの生き方の教科書



この本を読んでいる君。
ここまで読んでみて何か「感じた」ところがあっただろうか?

もしあったならば、それを実行してみる。
「動く」ことだ。

「感動」という言葉がある。感じて動く、と書く。
感動したなら動くことだ。
例えば、
テレビで感動的なドキュメンタリーを見たとしよう。
身体に障害のある方がそれをものともせずに
不可能と思えるような挑戦を続け、あることを成し遂げた。
君は感動し涙を流す。生きるって素晴らしい。人間には不可能はない。
もし君がそう「感じた」ならば、まずは「動く」ことだ。

例えば、これまで踏み出せなかったことに、君も挑戦をしてみよう。
「感じて」「動く」。
ここまでセットで行なってみて、初めて君は「感動」したことになるのだ。

ポイントは、「物理的に体を動かす」ことにある。
心の中だけで、「やろう」と決意する。
これは「動いた」ことにはならない。
例えば、仕事に関連する資格をとろう、と思ったのなら、
すぐに通信教育の資料を取り寄せる。
スポーツを始めようと思ったならば、ジムに申し込む。
ここまでやって初めて本当の意味で「動いた」ことになる。

「心」と「体」は一体だ。
つまり「感じる(心)」と「動く(体)」は常に矛盾しないように
バランスをとっている。
そしてどちらが勝つかと言えば、自分にとってより強固な方が勝つ。

テレビのドキュメンタリーで得た感動は、
君にとっては新参者にあたる新しい「心」だ。
その「心」に対して、
これまで資格取得やスポーツをできなかった怠け者の「体」がある。
この矛盾した二つのうちどちらが勝つだろうか?

新旧の自分を比べたら、いったいどちらの方がより強固だろうか?
言わずもがなだ。これまでの怠け者の方が勝つ。
「体」では、どうすれば新参者の「チャレンジしたい」という
「心」が勝てるようになるだろうか?
簡単なことだ。
「体」を「心」に合わせればいい。
新たな「心」への援軍として「体」を動員して行動を起こし、
「心」と「体」の矛盾をなくせばいい。

最初の一歩を踏み出せない35歳からの僕たちは、
「いつかやろう」と「心」で思うだけで「体」を動かさない。
そしてその間に強固な「昔の自分」が
新しい「心」を踏み潰してしまうのだ。
「感じた」らすぐに「動く」
それを覚えておく方がいい。

小倉広メルマガvol.309 ひとつ上の仕事を任せる


vol.309 ひとつ上の仕事を任せる 
出典:リーダーのための7つのステップ 49のコツ



◎権限委譲に勝る人材育成はない

メンバーは、研修で育つのではありません。
現場の仕事を通じて成長していく。
そのためには、
身の丈以上の難しい仕事を与えていかなくてはなりません。
そう、権限委譲していくのです。

しかし、「任せたくても、あのレベルじゃあ任せられないよ!」
と言うリーダーが数多くいます。本当にそうでしょうか?

そもそも権限委譲とは、
できるようになってから権限を委譲するのではありません。
「ちょっとまだ無理だろう」という段階で
任せるのが権限委譲なのです。
身の丈以上の仕事にチャレンジすることで初めて人は育ちます。
簡単にできる仕事を何度繰り返しても、成長はありません。
思い切ってひとつ上の仕事を無理でも任せる。
それが本来の権限委譲なのです。

◎プロコースとアマチュアコースを間違えるな

無理をして任せる以上、メンバーは必ずや失敗を犯すでしょう。
その時にどうするか。
あらかじめ決めておかなければなりません。
具体的には、手助けをするのか否か。
それが繰り返された時には、権限をはく奪するのか否か。
つまり、事実上の降格をさせるか否かを、
あらかじめ決めておかなければなりません。

手助けを一切せずに任せ続け、
それでもダメならば更迭、すなわちクビにする。
これがプロの世界です。
サッカーや野球の監督は、このような権限委譲を
球団オーナーからされているのです。
しかし、このやり方をそのまま真似してはいけません。
それでは組織が滅茶苦茶になってしまうでしょう。

そうではなく、育成主体のアマチュアコースで権限委譲をするのです。
具体的には、仕事は任せるが、あなたが常に隅々まで目を光らせて
プロセスを監視します。
そして、都度メンバーに報告・相談をさせて承認していく。
つまりは、補助輪付きで走らせるというやり方を取るのです。

もちろん失敗したらリーダーが責任を取り、
メンバーのせいにはさせません。
あくまでも常に隣で一緒に走るのです。

ただし、肝心な場面は1人でやらせます。
たとえば顧客訪問、あるいはプレゼン、さらには会議での発表。
その代わりに、前後にみっちりと予行演習と反省会をします。
これが育成型アマチュアコースの権限委譲です。
あなたが選ぶべきは、こちらのコースなのです。

◎権限委譲で楽になる、と勘違いしない

アマチュアコースで行う権限委譲は、
リーダーにとっては大変な負担となります。
「そんなことならば自分でやった方がはるかに速い!」
と、あなたは思うでしょう。
そういうものなのです。
自分でやった方がはるかに簡単。だからこそ、人が育つのです。

現在のラクを取るか、未来のラクを取るか。
リーダーは、常に未来を取らなくてはなりません。
権限委譲によって、メンバーに投資するのです。
必ずやあなたは、「やってよかった」と思うでしょう。
投資以上に大きなリターンがある。それが人材育成だからです。

小倉広メルマガ vol.151 『性格は死ぬ1~2日前まで変えられる』


vol.151「性格は死ぬ1~2日前まで変えられる」

自ら変わりないと思い努力すれば、

ライフスタイルを変えることは十分に可能だ。

性格は死ぬ1~2日前まで変えられる。

「何歳ぐらいになったら、性格を変えるには手遅れですか」と、アドラーに尋
ねたところ、アドラーは言いました。

「死ぬ1~2日前かな」

この言葉に勇気づけられる人は多いと思います。

自分自身の意思で「変わりたい」と思えば、変えることは可能です。自分自身
の意思で「変わりたい」と思えば、変えることは可能です。なぜならば、現在
のライフスタイルは自分自身が作りだしたものだからです。

ライフスタイルを変える際には、まず現在のライフスタイルが何であるかをき
ちんと把握することから始めなくてはなりません。それは「明るい」「暗い」
などの表層的な性格表現ではありません。

それらの根本にある中核的信念と呼ばれる「自己概念」「世界像」「自己理想」
を言葉にする必要があるでしょう。

それらを明らかにするために、アドラー心理学では、家族布置(構成)分析や、
早期回想と呼ばれる幼少期の想い出分析などを用います。そして、そのライフ
スタイルをカウンセラーの力を借りながら、自ら書き換えていくのです。

しかし、ライフスタイルは一度紙の上で書き換えたからといってすぐに変わる
ようなものではありません。よほど注意していないと、すぐに使い古した昔の
パターンに戻ってしまうでしょう。その行きつ戻りつを何百回、何千回と繰り
返すのです。

やがて、少しずつ自分が変わっていくのがわかるでしょう。そして生きてきた
人生の半分ほどの時間をかけて完全に書き換えを終えるのです。

小倉広メルマガ vol.150 『ライフスタイルを変えるとは』


vol.150「ライフスタイルを変えるとは」

ライフスタイル(=性格)とは、

人生の設計図であり、

人生という舞台の脚本である。

ライフスタイルが変われば、

人生はガラリと変わるだろう。



友人・知人の集まりの中で、会話の中心となる人もいれば、一言も話さない引
っ込み思案の人もいます。

アドラーはこうした行動の違いはライフスタイル(=性格)の違いによるもの
である、と言いました。

『世の中の人は自分を受け容れてくれる』
『自分は好かれている』というライフスタイルを持っている人は、自ら会話の
中心になるでしょう。それとは逆に、『世の中の人は自分を拒絶するに違いな
い』『自分は人から好かれるはずがない』というライフスタイルを持っている
人は、一言も話さないことでしょう。

ライフスタイルとは、生き方のクセであり、どのように行動すればうまくいく
か、という信念であり、一般的には性格、人格と呼ばれているものです。

しかし、性格というと一般的に変えられないものというイメージが強いため、
アドラーはあえてライフスタイルという言葉を使いました。そして、それは
「原因論」的に生まれつき決まっているものではなく、自分の意思で決めたも
のであるため、いつでも変えることは可能だ、と考えました。

友人の中で一言も話さない性格の人は「おとなしい性格」なのではなく、「人
を信用していない性格」「自分は好かれるはずがないと思っている性格」なの
です。

このように「おとなしい」という表層のさらに奥にある、核となる信念を見つ
け、それを変えることで行動や感情は大きく変わっていく。それがライフスタ
イルを変える、ということなのです。

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