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小倉広メルマガvol.354 「スナックが、熱い」


vol.353 『スナックが、熱い』 



どうやら、ホリエモンがスナックにご執心らしい。

銀座の高級クラブでもなく、六本木のキャバクラでもなく、
昭和の匂いと場末感がぷんぷん漂う、スナックが熱い、というのだ。

何を隠そう。僕も、スナックが大好きだ。

60歳なら若い方。70歳で適齢。80歳オーバーの腰が曲がった現役ママ
など珍しくもないスナック。

「若い頃は、そりゃあ、いろいろあったわよ……」

語る言葉の一つ一つが本になりそうな、濃い人生体験を
ママが語ってくれるスナック。

40歳オーバーでも、平気で「若い子」と呼ばれるスナック。

お通しに野菜の煮物が出てくるスナック。

ママの声が、いかの塩辛のようにしゃがれているスナック。

テレビのバラエティー番組が流れていて、それが似合うスナック。

和式便所でヒモを引っ張って流すスナック(東京都以外限定)。

店中に芳香剤の匂いがするスナック。

常連さんが酔ってふらふらしながら飛び込んでくるスナック。

ほこりの積もったドライフラワーが飾ってあるスナック。

猫を飼っているママが多いスナック。

会話が途切れて気まづくなると
「お兄さん、何か唄いなさいよ」とマイクを握らされるスナック。

温泉街や出張先の田舎では2時間飲み放題3千円が相場のスナック。

・・・・・・・・・・・・



人間臭くて、ホッとして、肩肘はらなくて済む。

財布に優しい、いいところだらけのスナック。

30代、40代の僕は、そんなスナックが「恥ずかしくて」入ること
ができなかった。
昭和の古くさく、イケていない感じが、イヤだったのだろう。

「何言ってるの?バカじゃない?」

当時の僕に言ってあげたくなる。「ガキだね」と。

そう。スナックを楽しめるのは、大人の証なのかもしれない。




美人の若いホステスとの、ほんのわずかの「恋の可能性」を
求める、でもなく。

おしゃれなカクテルを楽しむ、でもなく。

しゃれた上質の食事を楽しむ、でもなく。

田舎の実家のコタツにはいってミカンを食べるように、

ばあさんのママを相手に、なごんだ会話を楽しむ。




それができるのは、限りないぜいたくだ、と気づいたのは、
50歳を迎える頃だったろうか。

それ以来、大都市以外の出張の楽しみが、
出張先でのスナック巡りになったのは、言うまでもない。

地元、鎌倉でも半年かけて、一通りのスナックを巡ってみた。
常連のスナックも数軒できた。
その時、ようやく地元民になれたことを思い出す。




「緊張して」「周囲は敵で」「いいとこ見せて」「社会へ所属」する。
これが、「勇気」のない「競合的」な生き方だ。




「くつろいで」「周囲は仲間で」「ありのままで」「社会へ所属」する。
これが、「勇気」のある「協力的」な生き方だ。




スナックは、もしかしたら「勇気」があるかどうか、のリトマス試験紙
なのかもしれない。

なんて、言い訳しなくても、ただ、楽しいから、また、スナックに行くよ。

今夜も行っちゃおうかな。年輪のようなシワを刻んだ、素敵なママとおしゃべりをしに。
あの昭和の空間へ。





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小倉広メルマガvol.353 「変わるために必要な3つの死」


vol.353 『変わるために必要な3つの死』 



講演の度に、質問をいただく。


「小倉さんは、考え方が大きく変わったようにお見受けします。

 どうすれば、小倉さんのように変われますか?

 私も『変わりたい!』と思っているけど、中々変われないんです」


私は、いつも同じことを答える。

「死ぬ、しか、ないですね」と。

それは、実際の「死」ではない。

正確に言うならば、三種類の「臨死」体験だろう。
それくらいのショックがないと、人は変われないのだと思う。

一つ目の臨死体験は、生態的な「臨死」。すなわち「大病」だ。

二つ目の臨死体験は、経済的な「臨死」。すなわち「倒産」だ。

三つ目の臨死体験は、社会的な「臨死」。すなわち「投獄」だ。

この三つの「臨死」体験があれば、必ずしも人間が変わる、とは
言い切れないが、「変わりたい」と思う人には、良きショック療法
となるだろう。

僕は「臨死」ほどではないけれども、それに近い体験を何回かしている。

会社を設立して一年で、創業メンバーの多くに辞表を提出され
「小倉さんとは、一緒にやってられません」と言われたこと。

母子家庭で貧乏な母がこつこつと30年かけてためた老後の資金を
会社設立の失敗でゼロにしてしまい、心臓が止まりそうになったこと。

ベンチャー企業の雇われ役員だった時に、組織をうまくまとめられずに
二度のうつ病にかかったこと。などなど。

自分を変えたくて、あえて臨死体験を選んだのではなく、必然的にその状況
に追い込まれただけのことだが、結果的には、自分を変える大きなショック療法
に出逢えた、と言えるのかもしれない。

そんなお話をすると、講演で私に質問した人は、皆、たじろぐ。

「……大病も、倒産も、刑務所も、どれもイヤです……。それ以外の方法は
 何かありませんか?」

ないことはないが、とても面倒だ。具体的には、アドラー派の良きカウンセラー
について、月に2~3回、一年近く通い続ければ、考え方は大きく変わるかも
しれない。

しかし、もっと単純な方法がある。

それは、性格や考え方を無理やり変えずとも、「使い方」を変えることだ。

具体的には、行動を変える。発する言葉を変える。

心が変わっていなくても、形だけでも、Behaviorを変えてみるのだ。

日本の武道の世界には

「 形から入って、心に至る 」

という素晴らしい言葉がある。

柔道場に出入りする時に、わけもわからず、形だけでいいからきちんと礼をする。

それを1万回、2万回と繰り返せばやがて「あ!そうだったのか」と、心が何かを
つかむかもしれない。

最初から、心、すなわち、思考や感情を変えようとせずに、行動、形を変えるのだ。

そのうち、何かに気づくかもしれない。

今、僕自身、さらに変わっていこう、としている。

他人様から見ると、それは、理解できないかもしれない。

もしかしたら、後退しているように見えるかもしれないし、奇行に見えるかもしれない。

それは、行動、形、を変えているのだ。

それに見合った、心を変えていくために。

「形から入って、心に至る」

大病も、倒産も、刑務所もイヤ。

だけれども変わりたい。

そんな人にお勧めする方法だ。





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小倉広メルマガvol.352 「動かすと、ゴミが出る」


vol.352 『動かすと、ゴミが出る』 



「任せる技術」というタイトルで講演をすることが多い。

そこで、よく話す例えが「動かすと、ゴミが出る」という話だ。

「任せる」がテーマだから、動かすのは仕事だ。

これまでA課長がやっていた仕事をB主任へと動かす。
すると、ゴミが出る。つまり、無駄な作業が明らかになり、
「やめよっか」となるのだ。

一般的にこれは、仕事のスリム化、とか、仕事の無駄取り、と
呼ばれているようだ。

例えば、僕がかつてお世話になっていたリクルート社では、
おいおい、またかよ!という位、頻繁にレイアウト変更をしていた。

例えば、同じフロアの北ウイングから南ウイングに移動する。
例えば、同じビルの9階から10階に移動する。

意味ないじゃん!と、よく愚痴っていたものだ。

でも、無駄じゃない。たくさんのゴミが出るからだ。

溜め込んだ書類。とりあえず取っておいたグッズや事務用品。
動かすことをきっかけにそれらを捨てる。

すると、すっきりとスペースが空く。それだけではなく、
心まで軽くなる。発想が変わってくるのだ。

それと同じことが仕事にも起きる。

これまで当たり前のようにやっていた業務に疑問符が付く。

「A課長、それ、何のためにやっているんですか?」

「あ、え? 何のために……。そういやぁ、やらなくてもいいかもな」

こうして、仕事のゴミが捨てられていく。
もしくは、こんな展開もあるだろう。

「B主任、これ、今までやっていたからやってくれる?」

「はい。どうやってやればいいですか?」

「あ、うん。えーと。これ、結構、教えるの難しいんだよな……」

「はい」

「えーと。ま、いっか。やめやめ。やっぱ、これやらなくていいや。
 自分でやるのは簡単だけど、教えるの大変だし。よく考えたら
 やらなくても影響ないわ。やめ、やめ!」

水は一カ所に留まると腐っていく。

流れる水は腐らない。

とにかく、動かす、のだ。

仕事も人も。

効率は落ちるかもしれない。でも、発見がある。
そして、ゴミという名の無駄が出る。

そんなことを講演で良く話す。

「へぇ-。なるほど!」

意外にウケがいいので、今日のメルマガのネタにしてみました。



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小倉広メルマガvol.351 「僕が嫌いな人は、全員○○的な人」


vol.351 『僕が嫌いな人は、全員○○的な人』 



30代、40代の頃に比べれば「嫌い」な人がめっきり減った。
体感値は1/10くらい。理由はいろいろある。

まず、第一に、嫌いな人と無理してつきあわないようにした。
第二に、僕自身が嫌われる行動を慎むようにしたら、
周囲がいい人ばかりになった。
第三に、少しだけだが、僕が「寛容」になった。
こんなところだろう。

でも、相変わらず嫌いな人はいる。一瞬で嫌いとわかる。

で、どんな人が嫌いになるのだろう?と共通項を探っていたら、
ある先生からズバリ教えてもらった。
しかも、それは納得度100%だったから、ご紹介しようと思う。

僕が嫌いな人は、その100%全員が「人を裁く人」であったのだ。

「人を裁く」とは、「自分が正しく、相手が間違っている」と
相手の行動を評価し、相手に、自分の非や間違いを認めさせようとする人
のこと、である。

僕が嫌いになる人は100%全員この特徴を持っている。
それを言葉にしようがしまいが、態度や表情、言葉の声色、トーンなどで
見事なまでに伝わってきてしまうのだ。

例えば、言葉では
「良かったですね~♪ 素晴らしいですね~♪」
と一見、協力的な言葉を発していたとしても、
そこに、上から目線の意識があり、相手をコントロールしようとする下心があれば、
それは必ずや伝わってくる。

すると、僕は背筋がぞぞぞ~っ!として、その人が嫌いになるのだ。

もちろん、それはあくまでも僕の主観であり、私的感覚である。
だから、勘違いである可能性は否定できない。
でも、僕はそう思わない。かなり、ほとんどの確率で当たっているに違いないと信じている。

逆に、好きな人の顔をずらり思い浮かべてみる。
全員が全員100%「人を裁かない」人であることがわかる。

僕が何を言っても、それを「正しい、間違っている」とジャッジせず
「へぇー、なるほど~」って心から許容してくれる。
自分の意見と違っても、多様性を当たり前のように認めている。
だから、自然と、嘘なく「協力的」なアティテュードが伝わってくるのだ。

で、ここで注意しなくてはならないことがある。
僕自身がトートロジーに陥らないことだ。

つまり、僕のことを裁いてくる競合的な人を、僕自身が裁いてはならない、
ということだ。

しかーし、先のぞぞぞーっ!という感覚は一瞬で、
オートマティカリーにおそってくる。
それを避けることは相当に難しい。

では、どうすればいいのか。

簡単である。
ぞぞぞーっ!、で心の動きを止めて、
そこから先の「相手に非を認めさせたい」という思考をストップすることである。

陰性感情、特に、怒りを使わないようにすることだ。
そうすれば、ギリギリ、セーフである。
トートロジーに陥る一歩手前で踏みとどまったことになるだろう。

そして、そーっと、その人から距離を取る。
なるべく会わないようにするのだ。

しかし、まだまだ修行の途中。
練習を開始したばかり。だから、できないことの方が多いくらいだ。

もしも、相手を裁くことをやめることができたなら、
きっと毎日が心地よいだろうなぁ。

そして、あらゆる対人関係がもっともっとよくなるだろう。

その状態を人は「幸せ」と呼ぶ。

Life Goes on。

修行は続く。でも、結構、楽しいぞ。

小倉広メルマガvol.350 「映画『DESTINY鎌倉物語』はエンドロールをお楽しみに!」


vol.350 『映画『DESTINY鎌倉物語』はエンドロールをお楽しみに!』 



大学生時代、年間100本を超える映画を観た。
今も月に3本は映画を観たいと、企んでいる。

楽しみにしていた『DESTINY 鎌倉物語』を有楽町東宝の試写室で観てきて思った。
うん。期待通りに、いい映画だな、と。
そして思った。映画には、いろいろな楽しみ方がある、と。
だから、映画は止められない。

原作や脚本のストーリーを楽しむ。
役者の演技を楽しむ。(主演も脇役も)
衣装や小道具を楽しむ。
VFXやCGを楽しむ。
演出を楽しむ。
監督の茶目っ気や目配せを楽しむ。などなど。

僕は思う。どれも、正しい映画の楽しみ方だ、と。

かつて、僕は、正統派の骨太こそが真実で
ディティールはニセ者だと思っていた。
映画で言うならば、ストーリーや主役の演技こそが、
真実である、と。

でもね。そんなことないのよ。
王道でなくても、寄り道って楽しいよ。

今回の「鎌倉物語」は、その寄り道が、すごーく楽しかったのです。

だって、主人公の堺雅人や高畠充希が、歩いたり、車に乗って通る、
あの道ってあそこでしょ。
で、堺雅人が通う薬師丸ひろ子が女将の店ってあそこでしょ
(パンフレットを見て、それが勘違いであることが後ほど判明)
そんな風に、地元住民ならではの楽しみが、たくさーん、ある。

そしてね。脇役の存在感がすごい。
大仏警察署長(そんな警察署は実際にはない)
國村隼の得体の知れなさは、どうだ!

鬼才・安藤サクラの安定の演技は、どうだ!
(実力の7割くらいかな。本当は、もっとこの人はすごい)

大倉孝二や神戸浩も「こんな人いる、いる」という訳わからなさ、だし。
主人公の存在を食う脇役のすごさたるや、これも映画の醍醐味だ。

そして、エンドロールにもつながる「夜市」のアイディアが素晴らしい。
(おそらくホラー小説の名作・恒川光太郎「夜市」にインスパイアされているに違いない)

本筋ストーリーには、何の関係もない、エピソードだけど、
(厳密に言えば絡むのだが、別に夜市である必然性はまったくない)
こういった脇道、寄り道が、鎌倉の得体の知れなさを上手に伝えてくれるのだ。

もしも、映画の楽しみが、ストーリーだけにあるとしたら、
そんなにつまらないことはない。

ちょっとした、脇道、寄り道、監督による茶目っ気、目配せが映画の魅力のすべてだって、
それでいい、と僕は思う。

その極みが本映画のエンドロールだ。先の本筋に絡まない、夜市の、
ちょっとしたエピソードが、エンドロールにつながっている。
これが監督のちょっとした茶目っ気、目配せであり、
そんなところに映画の楽しみがあるのだ。

五年前にサハラ砂漠マラソンを走った時に、思った。

早く、ゴールに着かないかな。早く終わらないかな。
ゴールしたら感動するかな。

一週間、ずっと、ずっとそう思って、
毎日40km、時には80kmもの距離を走り続けた。

しかし、気がついた。それでは、この一週間は単なる苦痛ではないか。
快感はゴールの一瞬だけ。そして、マラソンが終わった時だけであるとしたら。
それまでのプロセスはすべて無駄ということなのか? それは、おかしいだろう。

そうではなく、この苦しい一瞬、一瞬のプロセスこそが素晴らしいのだ。
砂漠の砂に足を取られる、この忌まわしい苦しい一歩こそが素晴らしいのだ。
それを味わうために僕は砂漠にやってきたのだ。このプロセスこそが目的なのだ、と。

もしも、人生がサハラ砂漠マラソンだとしたら、同じことが言えるだろう。
金持ちになることが目的だとしたら、それまでのプロセスは地獄か?
金持ちになった瞬間だけが天国か? 本当にそうか?

マイホームを建てるのが夢なら、建てたその瞬間だけ幸せか?
それまでの貯金や節約の苦労は地獄か? 本当にそうか?

山登りの幸せは頂上に到着した時だけか?
それまでの上り坂は単なる苦痛で無駄な時間なのか? 本当にそうか?

そうじゃない。

その地獄かと思うような、希望に満ちた努力の日々。
毎日のちょっとした寄り道こそが天国であり、幸せなのだ。
つまり、今、ここ。この一瞬こそが天国だ。

それを映画「鎌倉物語」を観て思った。
エンドロールに監督の目配せと茶目っ気を観て。
名脇役のちょっとした名演技を観て。
鎌倉の路地の「ここで撮影したのか!」を観て。

それこそが映画だ、と。それこそが人生だ、と。
そんなことを映画の試写を観ながら、思った。

映画「DISTINY 鎌倉物語」は今週末から、全国でロードショー上映が始まります。
夫婦で、恋人と二人で観ることをお勧めするなぁ。
二人の夫婦喧嘩さえ、幸せなんだと、きっと思えるようになるからです。

小倉広メルマガvol.349「命を使う、と書いて『使命』と読む」


vol.349 『命を使う、と書いて『使命』と読む』 



人間力を高めるために古典を学ぶ読書会、人間塾。
第70回の課題図書として
「教室の感動を実況中継!先生、日本ってすごいね」服部剛著・高木書房を学んだ。
本書は服部先生が中学生向けに行ってきた道徳の授業を再現したものだ。
その第一話「戦場の知事 島田叡~沖縄の島守」役割と責任を読み、僕はいきなり、
横っ面を張られたような衝撃を受けた。

(以下、引用。一部改編)

時は大東亜戦争(第二次世界大戦)末期、戦況が悪化し、沖縄も空襲を受けるように
なった時のこと。当時の沖縄県知事、泉守紀氏は空襲を怖れ、県庁をあちこちに移転
させ行政が滞っていた。また、知事自ら、出張と称して本土に出かけ、そのまま沖縄
に戻ってこなかった、という。

内務省は、後任の知事を誰にするかで困っていた。まもなくアメリカ軍が沖縄に上陸
するのが確実だったため、誰も引き受けなかったからである。

そこに、沖縄守備軍の司令官・牛島満中将から「ぜひ、島田君を」と指名があった。
島田叡氏は神戸市出身、東京大学野球部卒の内務省エリート官僚。もちろん沖縄とは
縁もゆかりもない。しかし、牛島中将とは以前から親交があり深く信頼されていたのだ。

昭和二十年一月十日。当時、島田が務めていた大阪府の知事から呼び出された彼は、
突然「沖縄県知事になってほしい」と要請された。すると。

「私が行きます」島田は即答した。

慌てたのは、むしろ知事の方であった。
「君、家族もあるのだから三日ほどよく考え、相談した上で返答したらどうだ。断って
もいいんだぞ」しかし、島田は
「いや、これは妻子に相談することじゃありません。私が決めることです」と答えた。

自宅に帰ると、妻が
「朝から何か良いお話でしたの」と尋ねる。島田は
「沖縄県知事の内命やった。もちろん引き受けてきたわ」と答えた。驚く妻が
「なぜ、あなたが!?」と問うと、島田はこう言った。
「誰かが、どうしても行かなければならんとなれば、言われた俺が断るわけにはいかん
やないか。俺が断ったら誰かが行かなならん。俺は行くのは嫌やから、誰か行けとは
言えへん」のちに、島田はこうも言っている。
「牛島さんから赴任を望まれた。男として名指しされて断ることはできへんやないか」

こうして、島田は沖縄県知事として単身赴任した。島田の荷物はトランク二つだけ。
中には衣服と茶道具、愛読書数冊、薬。そして、拳銃。胸ポケットには青酸カリが
入っていた。

(中略)

「ありったけの地獄を一つにまとめたような戦い」と言われる沖縄戦において、
島田は自ら赴任し、地下壕の中で仕事をした。鍾乳洞の下、職員全員が家族を疎開
させ、島田とともに県民のために尽くしたという。

軍、民ともに沖縄本島南部に追い詰められ、県庁も崩壊した時
「知事さんは県民のために十分働かれました。文官なのですから、最後は手を
上げて出られても良いのではありませんか」と提案され、島田はこう答えたという。

「キミ、一県の長官として、僕が生きて帰れると思うかね。沖縄の人がどれだけ
死んでいるか、キミも知っているだろう」
「それにしても、僕ぐらい県民の力になれなかった県知事は、後にも先にも
いないだろうなあ。これは、きっと末代までの語りぐさになると思うよ」
と、県民を守り通せなかったことで自分を責めたという。

いよいよ最後の時。島田は女子職員に手を上げて出るよう指示をすると、自らは
激戦の中、軍の壕へ向かった。

後に島田知事の最期を目撃した、当時の分隊長、山本初雄氏は言った。
「島田知事は、負傷して壕の中で横になっていました。そして
『兵隊さん、そこに黒砂糖がありますからお持ちなさい』と言いました。
何も食べ物がない時ですよ。偉いと思います。
翌日、再び壕を訪ねると、島田知事は亡くなっていたという。
知事の膝のそばに拳銃がありました。『ああ自決したんだなあ』と思い、
合掌して壕を出ました」

(以上引用終わり)

本文を読んで、いろいろな思いや意見があることだろう。当時の軍や政治を糾弾
する気持ちもあるだろう。「命は地球よりも重い」という意見もあるかもしれない。
しかし、できれば、それらをいったん脇へ置いて、島田氏の「命の使い方」について
考えてみてはもらえないだろうか。

僕が言う「命の使い方」とは、「命の捨て方」ではない。
時間=命、だ。今、こうしている間も、僕たちは時間という命を使っている。
つまり、命の使い方とは、毎日の時間の使い方のことだ。

僕は、これまで、ワーカホリックのように働き詰めで働いてきた30年間を反省し、
鎌倉という自然豊かな環境に身を置き、ゆったりとした毎日を送ることを決意した。
四年前のことである。僕は意識的に仕事を減らし、毎日書いていたメルマガの執筆
を中断し、バックナンバーを配信することにした。

そこで生まれた時間を使って、僕は毎日のように由比ヶ浜を散歩し、夜は砂浜で
月を眺めた。愛犬を散歩して山に分け入った。木陰で読書をして過ごした。心が
満たされるのを感じた。これまでとは違う時間の使い方、命の使い方を知り、
心がみずみずしくなった。それは、それは、素晴らしい時間だった。

一方で、仕事を減らし、アウトプットを減らした僕は何だか、リタイアした老人の
ような気持ちになっていた。「仕事なんかよりも大切なことがある。僕は大切な
ものを取り戻しているんだ」そう自分に言い聞かせながらも、一方で、自分の
足が地に着かず、ふわふわと宙に浮いているような感覚があった。このまま、引退
してしまいそうな気持ちになっていた。

そんな時に、島田叡氏の話を読んだのだ。それは、横っ面を張られもするだろう、よ。

人間は社会的な動物だ。人は社会の網の目の中にいる時にだけ人間となる。
アドラー心理学ではこれを社会統合論と呼ぶ。

人の幸せや不幸は対人関係の中からしか生まれない。人は社会に所属していると実感
する時にだけ幸福になれるのだ。そして、社会に所属できていない、と感じる時に
不幸になる。

島田叡氏はわずか五ヶ月の沖縄県知事生活の後に命を落とした。その時間の大半は、
辛く、苦しく、もどかしい思いの連続だったに違いない。しかし、一方で清々しかった
のではなかろうか。

なぜならば、その時間の使い方、命の使い方は、沖縄県民のために、まさに命がけで
使われた時間に違いない、と思うからだ。

人は、誰かの役にたち、自分の力を精一杯に燃やしていると思える時に所属を感じる。
すると、人は幸福を感じる。島田叡氏は、たくさんのやるせない思いとともに、
しかし、幸福だったのではなかろうか。

ひるがえって、現在の自分は、どうだろうか。

こうして、僕は一年半ぶりに、新原稿でメルマガを書いている。これからは、バック
ナンバーの配信をやめて、毎回、新原稿を書いていこうと思う。

四年間開催していなかった、一般の方向け(企業での社内開催ではなくどなたでも
参加可能な)セミナーも再開しようと思う。それもこれも、島田叡氏に横っ面を
張っていただいたお陰様である。

命は有限。時間もまた有限である。時間の使い方=人生である。
気力・体力に経験が加わり、ビジネス人生の総仕上げとなるだろう、五十代の
過ごし方を今、僕は、こうして考え直そうと思っている。

小倉広メルマガvol.348「何年も着ていない服が捨てられない人は、いつか大切なものを失う。」


vol.348 『何年も着ていない服が捨てられない人は、いつか大切なものを失う。』 
出典:成長する人は知っている28の小さなきっかけ



収納スペースが足りなくて、洋服が部屋にあふれています。
クローゼットはもちろんのこと、プラスチック衣装ケースにも
服が入りきりません。仕方がないので、ポイとそのあたりに置いておくと、
部屋が雑然としてどうにも片付かない。ああー! 
もう、収納を何とかしてくれよ! もっと広い家に住みたいよー!
そう嘆いたところで、冷静に考え直してみました。
本当に収納スペースが足りないのか? と。
今のマンションに住んだままで何とかする方法はないのか? と。
すると、当たり前の帰結となりました。そうです。
何年も着ていない洋服を捨てればいいのです。収納を増やすのではなく、
収納物を減らせばいい。その当たり前の結論にたどりついたのです。

よし! やるか!
私は「思い立ったが吉日」とばかりに、洋服の整理をすることにしました。
まずは洋服をジャンル別に分類しながらすべて床に並べてみました。
夏物、冬物に大別しつつ、Tシャツ、ポロシャツ、セーターなどに
分類していくのです。そして床一面にすべて並べ尽くした後で、
いよいよ捨てる洋服を選んでいきました。

おっ! 懐かしいな。この洋服、昔、気に入ってよく着ていたなぁ。
もう3年くらい着ていないな。まだ着られるかな? 
こんな風にしながらもう着ない、と思われる洋服を
45リットルの大きなゴミ袋に捨てていったのです。

よし。これで全部チェックしたぞ。
そう思い、改めて残っている洋服を見たときに私は愕然としてしまいました。
なんだ、これは。結局9割以上の洋服が残ったままじゃないか。
これでは、以前と何も変わらないぞ。そうです。私は捨てられない男、
未練たらたらの男だったのです。よし、もう一度捨てるぞ。
今度こそは勇気を持って捨てるぞ。そう覚悟してやり直すことにしました。
そして、その結果といえば……。

なんと、それでも8割以上が残ってしまいました。
どうしても未練があって捨てられない。
迷った結果残してしまう服ばかりだったのです。このままではラチがあきません。
できれば洋服は半分くらいに減らしたいところ。
クローゼットに余裕を持たせてその分、新しい洋服やその他の荷物を
きれいに片付けてしまいたいと思っていたのです。

これはやり方を変えないと何も変わらないな……。
ようやくそう気づいた私は、選択の基準を変えることにしました。
「残したい」「残したくない」という主観ベースでは
捨てられないことを痛感したので、主観ではない客観的な基準をベースに
することにしたのです。

私が導入したルールは、
「1年以上着ていないものは問答無用で捨てる」
「サイズが合わないものは(痩せたら着よう、という発想を捨てて)問答無用で捨てる」
「それでも迷ったら捨てる」という3つです。

この効果は絶大でした。私はようやく、今ある洋服の半分を捨てる、
という目標を達成することができたのです。
そして、かつて先輩に聞いた言葉を思い出していました。
「東京で暮らしていて一番値段が高いのは家賃である」
「部屋の中に不要なガラクタを置いているということは、
そのガラクタのために年間何万、何十万円も保管代金を払っているようなものである」
「それならば、いっそのことガラクタはすべて捨ててしまい、
必要になったらまた再び買い直した方がはるかに安く済む」
という主張でした。

私はその話を聞いたときに「まったくその通りだ」と深くうなずいたものです。
そうか、私は何年間も着ていない洋服に年間10万円以上も保菅代を支払っていたのか。
そう思い、寒気がしたのです。

木を見て森を見ず、という言葉があります。
目先の洋服代を惜しんで、はるかに高額な保管代を払っていた私は、
まさに、木を見て森を見ず。
何とも情けない状態であったわけです。そして思いました。
何年も着ていない洋服を捨てられない人は、
木を見て森を見ず、の発想が染みついているのではないか、と。

おそらくその思考は、洋服の収納以外にも及んでいることでしょう。
目先の小さな利益にこだわって、大切なものを失ってしまう。
そんな仕事ぶり、生活ぶりを繰り返している可能性が高いのではないか、
と思ったのです。

たとえば「大同のために小異を捨てる」ことができず、
小さなことにこだわってしまっていたり。
相手のちょっとした振る舞いに腹を立てて、大切な関係を壊してしまったり。
目先のちょっとした投資を惜しんで、大切な勉強の機会を逃してしまったり。
そんなことばかりをしていた私の過去がブワァーッと頭の中に
次々と浮かんできたのです。
これではうまくいくはずがない。成長できるはずがない。そう気づいたのです。

気がつけば、半分に減った私の洋服は、
衣装ケースとクローゼットにきれいに収納されていました。
そして、洋服と一緒に私の頭の中もきれいに整頓されたようです。
洋服の収納と私の考え方はイコールである。
そう気づいた私は、それからもどんどん洋服を捨てるようになりました。
もっとも最近は、人にあげたり、古着を求めている団体に送ったりする、
という選択肢が増えましたが。

何気ない日常の行動に自分の価値観が投影されている。
そんなことを改めて実感した一日でした。たかが収納、されど収納、なわけです。

~小さなきっかけ~
1年以上着ていない服は問答無用で捨てるようにしよう

小倉広メルマガvol.347「定年退職後も一生働く。生涯現役を目指す」


vol.347 『定年退職後も一生働く。生涯現役を目指す』 
出典:人生を後悔しないために38歳までに決めておきたいこと



◎「働くことが生きがい」は、恥ずかしいことではない

40代にもなると、
定年後の人生について具体的に考えるようになります。

65歳で定年退職だとしたら、
そのときにもらえる年金は年にいくら。
足りない分はいくらだな。仮に80歳、85歳まで生きるとしたら、
足りない金額に15年、20年と年数をかけて。
よし、そしたらその足りない金額を定年までに貯金しておこう。

そんな風に計画を立てて貯金をしながら、
あとは老後の日々をどんな風に過ごそうかなと考える。
だいたいそんなところだと思います。

でも、それだけで本当にいいのか?
僕は皆に提案したいことがあります。
それは、定年後も働く人生を考えてみないか。
75歳、80歳まで働く人生を考えてみないか、ということです。
生涯現役を目指すのです。

もちろん、途中で病気になるかもしれないし、
倒れて体が動かなくなるかもしれない。
そういったときのために、やっぱり貯金は必要です。
100%目標通りの金額に達しなくても、ある程度の貯金は用意しておきたい。
それにプラスして、75~80歳まで働く人生設計も考えてみてほしいのです。

政府が発表している「平成23年版高齢社会白書」のデータで、
60歳以上で仕事をしている人に「いつまで働きたいか」と尋ねた調査では、
「働けるうちはいつまでも」が最も多くなっています。
その理由としては「収入がほしいから」が一番多くて、
次に「働くのは体によいから、老化を防ぐから」、
「仕事を通じて友人や、仲間を得ることができるから」と続いています。
「体が動くうちは働いていたい」と考える人は、
けっこう多いのではないかと思います。

でもそこで、「年をとっても働きたい」、「仕事が生きがいだ」
なんて言うと、仕事しかできない貧しい人、
ワーカホリックみたいで恥ずかしい、なんてことを言う人がいます。
しかし、それはまったく違う、と僕は思います。

もともと人間は、社会とつながりたい生き物です。
人間は、関係性の網の目によって初めて生きていることを実感できる。
1人でオリの中に入っているだけでは、
生きていると感じることができないのです。
だから、友達とスポーツをしたり、ボランティアをしたりする。
もちろんそういった活動も、人とのつながり、社会とのつながりを保てます。

だけどやっぱり人と最も深く触れ合えること、ツラさやしんどさ、
喜びも含めて人と深く関われることといったら、
ほかでもない仕事が一番なのです。

働くことが生きがいであると、そして、一生働いていくと、
正々堂々と宣言してみませんか。
「定年退職後も働くなんでかわいそう」、「恥ずかしい」なんて言う人には、
「いやいやそうじゃない、僕たちは幸せのために働くんだ」と言えばいい。

そういう視点を1つ持って、定年退職後の人生設計をする。
そうすると、定年退職後も働き続けるためには、
今、何をしておけばいいのかを考えるようになる。
おのずと40代以降の暮らし方や仕事の仕方が変わってくるはずです。

◎人の幸せは、仕事を通じて全部手に入れられる

日本理化学工業という会社があります。
この会社は、『日本でいちばん大切にしたい会社』(坂本光司著、あさ出版)で、
最初に紹介されました。その会社を築いてきた大山泰弘会長の言葉を、
僕はよく使わせてもらっています。

「人間の究極の幸せは次の4つです。
人に愛されること、
人にほめられること、
人の役に立つこと、
人から必要とされること。
愛されること以外の3つは、働くことによって得られます。
私は、愛されることすらも働くことで得られると思います。」

僕はもう一度、声を大きくして言います。
「定年退職後も働くことは恥ずかしいことではない」、「むしろ素晴らしいことだ」と。
大山さんが言うように、人間の幸せは仕事を通じて全部得られるし、
仕事を通じて一番得やすいのです。

幸せになりたかったら仕事をしよう。
もう年だから、と言い訳をするのはやめよう。
身体が動いて元気なのであれば、ぜひ仕事をして幸せを追求してほしい。
そして、定年後も仕事ができるよう、
今から独自の能力を身につけていってほしいと思います。

【決断】幸せのために生涯働く

小倉広メルマガvol.346「チームの存在意義を語ろう」


vol.346 『チームの存在意義を語ろう』 
出典:チームのルール



「俺たちの会社は世直しと困った家族の人助けをしているんだ!」

大真面目な顔をして先輩が語ります。
彼は外資系生命保険の営業支社長。
一杯酒が入り、ボルテージが上がってから彼の話は止まりません。
どれだけ今の仕事にやりがいがあるか。
たくさんのお客様に喜ばれ自分が幸せを感じていること。
大真面目な顔で語るのです。

この場面は、仕事とは関係ないプライベートな食事の場面です。
しかし彼は後輩である私に熱をこめて仕事の話を語るのです。

チームが人々の役に立っている。
自分たちは世の中から求められている。

その実感を持てたとき、
チームのメンバーは恐ろしいほどの力を発揮します。
逆に自分たちは人々の役に立っていない。
自分たちは世の中から求められていない、と感じたならば……。
どんなに高い給料をもらっていても心からやる気を出すことは
決してないでしょう。

チームの存在意義は強烈な「精神的報酬」となるのです。

かつてリクルート社で求人広告の新人営業マンだったころ、
私は営業の仕事が「世の中から邪魔者扱いされる最悪の仕事」
だと感じ、毎日会社を辞めたいと思っていたものです。
なぜならば、一日に百件も二百件も電話をかけ
飛び込み営業をしていたときのお客様の反応が冷たかったからです。

「忙しいのに邪魔邪魔!」
「またリクルート? 要らない、要らない!」
と冷たい扱いを受けた私は毎日の仕事が辛く苦しく感じられました。

しかしお客様の一言を機に世界が変わりました。
「リクルートさんのお陰で素晴らしい人が入ってくれたよ。
彼一人だけで会社が見違えるように変わった。
高いと思った広告費も安かった。どうもありがとう!」。

私の仕事は世の中の役に立っているんだ。
そう信じることができたときに、
体中に感動が稲妻のように走ったのを今も覚えています。

メンバーにチームの存在意義を語り続けること。
リーダーの大切な大切な仕事なのです。

小倉広メルマガvol.345「チームの規範、すなわち文化を作る」


vol.345 『チームの規範、すなわち文化を作る』 
出典:33歳からのリーダーのルール



33歳からの新米リーダーである君が受け持つ部署は
おそらくできたての新設部署ではないだろう。
そうである以上、君の部署には必す前任のリーダーがいた、
ということになる。
そしてそのチームには前任リーダーのやり方や風土が根づいているはすだ。
君はその風土に前任リーダーの影を見る。
そして自分らしさを発揮することに遠慮をしてしまうのだ。

ハッキリと忠告しよう。
君は君以外の人間になることはできない。君は君らしさで勝負するしかない。
前任者のマネをしてもうまくいくわけがないのだ。

君は君流のリーダーシップを発揮しなくてはならない。
それはチームのカラーを変えることを意昧する。
たとえ前任者が偉大であったとしても、
そのやり方を踏襲してはいけないのだ。

かつてサッカー日本代表の監督を務めていた世界の名将イビチャ・オシム氏が
病に倒れた後、急遽監督の座に着いた岡田氏は
オシム流を引き継ぐと内外に宣言した。
そしてそれはうまくいかなかった。
格下のバーレーン戦に無様な惨敗を喫した後、
岡田監督は「オレ流でやらせてもらう。僕はオシムにはなれない」と宣言した。
そして岡田流のやり方で日本代表チームを立て直した。
それと同じことを君はしなければならないのだ。

その際に注意してほしいことが2つある。
一つ目は、だからといっていきなり「オレ流」をゴリ押ししないでほしい、
ということだ。
最終的には君の「オレ流」のチームを作らなくてはならない。
しかし、その前に今いるメンバーのやり方や
彼らの価値観を一旦は認めなければならない。過去はすべて正しい。
そのようにやる必然性があったからそうしていた。

それを認め、彼らとの間に信頼関係を築かなければならない。
どんなに正しいことを伝えても、
相手が君を受け容れなければ絶対に言うことを聞いてはくれない。
ましてや新米リーダーにやり方を変えろ、などと言われれば
反発されるのが関の山だ。注意しなければならない。

もう一つは、個別の事象をもぐら叩きしてはならない、ということだ。
そうではなく、一つの事象を「モデルケース」として
その背景にある考え方、規範を共有する習慣を作るのだ。

つまりは1対1でやりとりした話の内容を「モデルケース」として
すぐに全メンバーと共有する。そうやってチームの規範や風土、
文化を意図的に作り上げていくのだ。
リーダーはチームの規範を作らなければならない。
前任者に遠慮をしている場合ではないのだ。

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