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2月24日配信 アドラー心理学書籍要約&解説 メルマガ  vol.24 「人生の意味の心理学」アルフレッド・アドラー(アルテ)下巻(1)

  • 2017年02月26日


vol.24 「人生の意味の心理学」アルフレッド・アドラー(アルテ)下巻(1)


「人生の意味の心理学」アルフレッド・アドラー(アルテ)下巻(1)
【 第一章 学校の影響 】

◎教師はまさに母親がするべきことをしなければならない。
つまり子どもを自分自身に結びつけ、自分に関心を持たせるのである。
子どもの未来の適応のすべては
最初に子どもの関心をとらえることにかかっている。
このことは、厳格だったり罰することでは決してできない。
もしも子どもが学校にきて、
教師と仲間の子どもたちとつながることが困難だと思うならば、
してはいけない最悪のことは、彼(女)を批判し、叱ることである。
この方法は、
自分が学校が嫌いなのはもっともだということを確信させるだけだろう。

◎学校にこなくなり、悪い生徒、
愚かで扱いにくいというふうに見える子どもは、
もっぱら、学校がこのように人為的に不愉快な環境にさせられた
子どもたちである。
彼(女)らは実際には愚かではない。
しばしば、学校に行かない口実をこしらえることや、あるいは、
親からの手紙を偽造することにかけて大変な巧妙さを見せる。
しかし、学校の外では、自分よりも前に学校をさぼった子どもを見つける。
この仲間から、学校でよりもずっと認められる。
彼(女)らが自分の居場所があると感じ、
自分が価値があることがはっきりわかるサークルは、
学校の教室ではなく、ギャングである。
この状況において、われわれは全体の一部として
クラスの中に受け入れられない子どもたちが、
いかに犯罪者として歩む刺激を受けるかを見ることができる。

◎教師が子どもの関心を引き寄せようとするのであれば、
子どもの関心が以前は何であったかを理解し、
この関心事や他の関心事において成功できることを確信を持たせるだろう。
子どもが一つのことに自信を持てれば、
他のことにも関心を持つように促すことは容易だろう。

◎もしも誰かが教育の失敗を責められるべきだとすれば
子どもたちに関心を持たせる
正しい方法を見いださなかった教師と親である。
子どもたちの教育が専門化されるべきだと提案しているのではない。
そうではなく高く発達している関心が、
他の関心においても子どもたちを勇気づけるために用いられるべきである、
と主張しているのである。

(小倉による解説)

母親の仕事と教師の仕事は同じである。

(1)子どもの関心がこれまで何に対してあったかを理解し、
   そのことで子どもが成功できることに確信を持たせる。
(2)そのことにより、教師や母親が子どもを自分に関心を持たせること
(3)一つのことに自信を持てれば、
   他のことにも関心を持つことができるようになる

これは、以前にアドラーが示した共同体感覚の育成と同じである。

(1)母親が子どもと信頼関係を築く
(2)その信頼関係を父親や他の家族へと拡げる
(3)その信頼関係を家族以外の社会へと拡げる

アドラー派の教育の手法はすべて成功例をつくることから始まる。
それを外へと拡げていくのだ。
子どもの関心は遊びでも運動でもゲームでもいいかもしれない。
そこでの自信をつくる。
それを拡げていくのだ。
これが教育の基本である。

◎子どもは学校で悪い成績表をもらい、そのことで学校で叱られる。
家に持ち帰ると再び罰せられる。
このような経験が一度でもあれば、勇気をくじかれるに十分である。
罰を二重に受けるのは悲惨である。
子どもが遅れたままであり、
クラスで不穏な影響を与えることは、不思議ではない。

◎教育におけるもっとも大きな問題は、子どもの限界ではなく、
子どもが自分に限界があると考えることによって引き起こされる。
教育においては、われわれのエネルギーを子どもの自信と関心を憎し、
子どもが人生についての意味づけによって、
自分自身の力に課した制限を取り除くことに向けるべきである。

◎もしも親が野心があれば、
おそらく子どもが悪い成績表を持って帰ってきた時に、
子どもを責めるだろう。
少し優しくて寛大であれば、子どもは前進し成功するよう、
勇気づけられるかもしれない。
子どもが常に悪い成績表を持ち帰り、
他の誰もがその子どもがクラスで一番成績が悪いと思えば、
子ども自身がそう信じるようになり、
そのことを変えることができない事実だと
信じるようになるのを知っている。
しかし、子どもたちの非常によくある誤りは、
それ以上どうすることもできない、と信じることである。

◎他の子どもたちは自分よりも進んでおり、決して追いつけない、と信じる。
子どもが、この態度を強固に持てば、おそらく生涯にわたって、
この思い込みにつきまとわれることになるだろう。
大人になっても、自分の位置を他の人との関係で測り、いつも遅れている、
と見なすだろう。

(小倉による解説)

子どもの教育で一番の間違いは
「自分は劣った存在であり、追いつけない、自分には限界がある」と
「思い込」ませることである。
その悪弊は一生涯にわたりつきまとう。
そうではなく「自分には可能性がある。自分はできる」と思わせることこそが
教育で最も重要なことである。
一つのことに自信を持つことができれば、それを他に拡げることは容易である。

◎性格が遺伝された傾向であるという考えは迷信と呼んでもいい。
人が責任を回避し、
人間の行動について運命的な考えをするところではどこでも、
性格特性は遺伝するという理論が、ほとんど必ずといっていいほど現れる。
責任を逃れる非常に強い欲求だけが、
このような考えが存続することを可能にするだろう。

◎一世代以上、社会の才能のある一員を輩出してきた家族ですら、
遺伝の影響が働いていると仮定する必要はない。
むしろ、われわれは、家族の一人の成員の成功が、
他の人への刺激として作用し、
家族の伝統と期待が、子どもたちが彼(女)らの関心を追求し、
自分自身を、練習と実践によって、訓練することを可能にした、
と仮定することができる。

◎われわれが偉大な化学者であるリービッヒが
薬局の経営者の息子だったことを知っても、
彼の化学における能力が遺伝されたものであると仮定する必要はない。
子細に見れば、彼の環境が、彼が関心を追求することを許し、
大抵の子どもが化学について何も理解しない年に、
既に化学について多くのことに親しんでいたことを見ることができる。

◎モーツァルトの親は音楽に関心があったが、
モーツァルトの才能は遺伝されたものではない。
親は彼に音楽に関心を持ってほしいと思い、あらゆる勇気づけをした。
彼の環境全体は、彼が小さかった頃から音楽的だった。
われわれは、通常、この「早いスタート」を傑出した人の問に見る。
彼(女)らは、四歳の時にピアノを弾いたり、
まだ非常に幼い時に、他の家族のために物語を書いた。
彼(女)らの関心は長く持続され、訓練は自発的で広範囲に及んだ。
彼(女)らは勇気を失わず、ためらうことも、あるいは、
しりごみすることもなかった。

(小倉による解説)

アドラーは別のところで「遺伝はある、影響はある」と語っている。
しかし、それはあくまでも限定的な影響であり、
それ以上に大きな決定因は
子ども自身が自分の能力や可能性についてどのような「思い込み」を作るか、
であると言っている。
必要なのは親や教師による勇気づけである。
「私はできる。私は価値がある。私へ可能性がある」
そう思えるような声がけ、関わり、見守りこそが教育である。

◎宿題をわすれたり教科書をなくしたりすれば、
そのような子どもは勉強に関心がない、と考えることができる。
なぜ学校が子どもにとって嫌なところなのかを見いださなければならない。

◎他の子どもの遊びに加わらなければ、
孤独と自己陶酔の感覚を認めることができる。

◎いつも勉強を手伝ってほしいというのであれば、自立心がなく、
他の人に支えてほしいと思っていることがわかる。

◎ほめられたり、評価される時にだけ、勉強する子どもがいる。
多くの甘やかされた子どもたちは、教師の注目を得られる限りは、
宿題をちゃんとする。
もしも特別に考慮してもらえるという地位を失えば、トラブルが始まる。
聴衆がいなければ動けないのである。
見てくれる人がいなければ、関心を失ってしまう。

◎他者の幸福にとって、もっとも大きな危険であるのは、
いつも他者の支えと注目を要求する子どもなのである。
もしもこの態度が変わらないままであれば、
子どもは、大人になってからも、
生涯を通じてずっと他者の支えを必要とし要求し続けるだろう。
問題が起きれば、
他者が子どものために解決することを強いるように考えられた仕方で
反応するだろう。
他者の幸福には何の貢献もしないで、
仲間にとって永遠に足手まといな人として人生を送るだろう。

◎注目の中心にいたいという子どもの別のタイプは、
もしも自分の思うような位置にいられなければ、いたずらをしたり、
クラスの全体を妨害したり、他の子どもたちを堕落させたり、
全般的に邪魔をすることで注目を得ようとする。
非難しても罰しても、子どもには何の甲斐もないだろう。
無視されるくらいなら、罰せられる方を選ぶだろう。
悪い行動をして不快な目にあっても、
子どもには、そのことで注目を得られるのであるから、
正当な代価だと思えるだろう。

◎怠惰な子どもは、本当の試験に直面することがないので、
敗北の本当の感情を経験することはない。
問題を避けたり、他の人と競うかどうかという決断を延期する。
他のすべての人は、もう少しでも怠惰でなくなれば、困難を克服できる、
と確信している。
「やれば何でもできるのに」という、かの至福の白日夢に逃げ込む。
失敗した時は、いつでも次のようにいうことで、
失敗の重要性を減じ、自尊心を保つことができる。
「能力がないのではなく、怠惰なだけだ」と。

◎時には教師は怠惰な生徒に
「もっと勉強したら、クラスで一番賢い生徒になれるであろう」
という、だろう。
何もしないのにこのような評判を得ることができるのであれば、
どうして勉強して危険を冒すはずがあろう。
おそらく、怠惰であることを止めれば、
隠された優秀性の評判は終わりを告げるだろう。
なしとげたかもしれないことではなく、
実際に行ったことに基づいて判断される。
怠惰な子どもにとっての別の例人的な利益は、
もしも少しでも何かをすれば、そのことで賞賛されるということである。

◎すぐに見て取れる別のタイプの子どもは、
同年の子どもの間で主導権を操る子どもである。
人類はリーダーを真に必要としてきたが、
他のすべての人の最善の利益となるように導く人だけが必要である。
リードする大抵の子どもたちは、
自分が他の人を支配できる状況にしか関心がなく、
この条件においてだけ、仲間に加わるのである。
それゆえ、このような子どもたちにとって未来は明るくない。
困難は後の人生に必ず起こる。
しばしば、このような二人が、結婚、仕事、あるいは、
他の対人関係において出会う。
その結果は、悲劇的なものになるか、喜劇的なものになる。
それぞれが他方を支配し、自分自身の優越性を確立する機会を求める。

◎われわれがしたいことは明らかに、
敗北と困難へと導く習慣の発達を防ぐことでる。
そして、この発達は子ども時代に修正したり、
あるいは、防ぐことは、比較的容易である。
このような習慣が修正されないところでは、
大人の生活における社会的な結末は過酷で有害である。
子ども時代の誤りと大人の失敗の間には、直接の結びつきがある。
協力を学ばなかった子どもは、後に神経症者、アルコール依存症者、
犯罪者あるいは自殺者になる。

◎責められたら、子どもは何も学ばないだろうが、
冷静な話し合いを聞くことができれば、問いについて考え、
おそらく考えを変えるだろう。

(小倉による解説)

本書は子どもの教育、学校教育について述べている章だが、
大人にも十分に当てはまることがわかるだろう。
目的論的に見れば、あらゆる行動の向かう先が見える。
私は社会人生活が30年になろうとしているが、いまだに怠惰であり、
注目の中心でいたいと思い、
他の子どもと違う遊びをすることで孤独と自己陶酔を味わっている。
すべては私が描く私なりの認知論に基づく私的論理(プライベートロジック)
での優越である。
これがあまりにもコモンセンスとずれていくと人生はうまくいかない。
そうでなければこの優越の追求は社会への貢献や文明の進歩、
個人の成長の原動力となる。
しかし、怠惰が目指す「お手軽な有能感」や
目立つことを求める非社会的な支配や、
仲間の輪から外れていく自己陶酔は避けたいと思う。
自分にそのような傾向があることを認めることができれば、
行動である程度防ぐことができる。
子どもの頃にそれを親や教師が認め、早めに誘導してあげれば、
マイナスの要素が色濃くなりすぎないよう教育することは
比較的容易である、とアドラーは言っている。

以上

「人生の意味の心理学」アルフレッド・アドラー(アルテ)下巻(1)【 第一章 学校の影響 】
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