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11月18日配信 アドラー心理学書籍要約&解説 メルマガ  vol.17 「現代アドラー心理学」上巻 (17)第九章

  • 2016年11月18日


vol.17 「現代アドラー心理学」上巻 第九章 パーソナリティのタイプ より

●精神病に関するアドラー派の立場は非常に単純なものである。
精神病者とは、共同体感覚や勇気を欠いた人、あきらめてしまった人、
賢い仕方で病気になることによって
人生のストレスや緊張を避ける方法を見いだした人のことである。
彼らは一般に共同体感覚を持っていない。
彼らは人生に参与せず孤立する者、アウトサイダー、傍観者であった。
彼らは、人生、他者、家族の義務、社会的参与などについて
間違った見解を持っており、自分自身を誤解しているのだ。
心理的に孤立している人は、世の中を敵対的なものと見て、
恐怖を感じて離れてしまうのだ。

●子どもや青年が良心や親戚によって勇気づけられ、
他者とのしっかりとした関係を築くことにより心理学的忍耐力が強められ、
人生の荒波に勇気と決意をもって立ち向かえるのだ。
それができない人は逃走の方法を見つける。
神経症患者は、自尊心の喪失を避けるため、
苦痛で耐えられないと見る人生から退き、すべてを放棄してしまう。

●精神病者はもっと完全に意気阻喪していて共同体感覚に欠けており
人生の課題を完全に避け、
彼ら自身のコモンセンスからあまりに外れてしまった課題で代理させてしまう。
彼らの課題は誰とも同意できない自分だけの仕方であり、
誰もが彼らを失敗者と見ているのに
彼らは自分をまだ他者よりはるかに優れた者と見ているのである。
彼らから見れば精神病者だけが本当の問題に取り組んでいると
思っているのである。
ドライカースは言っている。
『彼らは妄想や幻覚によって仮想された現実を自分に印象づけ
私的感覚プライベートロジックに同調するのだ。
彼は自分自身の世界に住んでいるのであり、
個人的な目標は完全に正当化されている。
誰とも共有できない自分自身の論理を持っているのだ』

(小倉による解説)
上記はアドラーによる100年前の論理であり
脳科学的知見の発達していない頃の理論であるため、
相当に割り引いて理解しなければならないだろう。
しかし、かつてうつ病を患ったことのある私にとって、
自らに照らしてみると納得性が高い理論でもある。

●共同体感覚を発達させないようなタイプの子どもは
一般的に甘やかされた子どもである。
そういう子どもは特別扱いを期待し、人が自分に仕えることを期待し、
他者のための責任を理解できなくなる。
彼らは常に要求し、自己中心的となり、自分の魅力を用いて
他者に自分へ仕えさせ、他者がいいなりになると今度は暴君になる。
そして他者が仕えないと反抗する。
「甘やかされた子どもは皆、嫌われ者になる」とアドラーは言っている。

●アドラーによる大人のタイプ分類は以下である。
(1)有益な人
  正常な人、成功した者、諸問題をうまく解決する人
(2)支配的な人
  自分の我を通し他者を支配したい人
(3)逃避的な人
  問題から逃げてしまう人
(4)ゲッター
  他者に寄りかかり依存する人

(小倉による解説)
上記分類は2軸の4象限で構成されている。
1つ目の軸は共同体感覚のあり、なし、であり
2つ目の軸は行動のあり、なしである。
あり、ありは(1)
なし、ありが(2)
あり、なしは「存在しない」とアドラーは言う。
つまり、共同体感覚を持てばおのずと行動を起こし、
心だけあり行動しないのは全体論から言って矛盾しており、
本当は共同体感覚を持っていないのだ、というのだ。
そして、なし、なしが(3)もしくは(4)となる。
(3)と(4)は同根なわけだ。
もちろん、誰もが(1)になりたい。
そのための道筋、すなわち共同体感覚を持ち行動するという道筋を
アドラー心理学は提供してくれていると考えることができる。

●1972年エルサレムで開かれた国際アドラー派会議で、ナイラ・ヶファーが
優先事項という概念を導入した。
彼女によればライフスタイルは
四つの主要なカテゴリーに分類されるというのである。
つまり
(1)支配する者
(2)逃避する者
(3)優越する者
(4)他者に気にいられる者
  のどれかである、というのだ。

●神経症的症状はその人の私的論理の表現である。
彼らの行動の趣旨が「私の自尊心が傷つくかもしれないから、
私は・・・・・・をしない」と述べているのであるが、
彼らは(口では)「私は病気だから、・・・・・・ができない」と言う。

●症状の目的は常にその人の自尊心を守るためか、
あるいは言い訳をするためのどちらかである。
人は自尊心を防衛的にも攻撃的にも保護することができる。
つまり、攻撃か逃避かである。

●個人は以下のいくつかのパターンで攻撃か逃避かを行う。
(A)英雄—殉教者—聖者戦略
(B)注意—奉仕—愛戦略
(C)力の戦略
(D)復讐と報復の戦略

●神経症的変種のもっとも普通のものは、うつ病あろう。
うつ病に至るまでのこれらの否定的感情、罪責感、自己非難、
欠陥感、失望感などをアドラー派は安全を求める自衛行動と見る。
これらの意図するところは
自分の個人的優越というフィクションを維持することである。
この見解は、うつ病をホルモン、生理的、食事療法、疲労、抵抗力の低下、
気候、政治的風潮などと結びつけたいと思う人々を満足させないだろう。
またこの症状を家族の死、失業、事業の失敗などとの関係で説明したい
と思う人にとっても不条理に見えるだろう。

●うつ病はアドラー派の見知から見れば、つねに二つの目的を持っている。
(1)その人の自尊心を守ること
(2)環境に異を唱えること
「私はOKなんだが、あなたはOKではない」つまり環境への攻撃である。
それは普通家族の中の誰か、時としては世界全体への攻撃でもある。
つまり、彼は、誰かが彼にしたことについて「すまない」と思ってほしいのだ。
それは自分を傷つけることによって誰かを傷つけたいと思っているのだ。
それは「甘ったれた復讐」という言葉がありうる。
誰かを心配させたり、居心地を悪くさせたり、
罪責感を持たせたりしたいのである。

●うつ病は自分をいい気持ちにさせ、
他者を悪い気分にさせるという目的を持っているのだ。
だが、本人は「ばかげている!」と答えるかもしれない。
マゾヒストは苦痛を喜んで受ける。
うつ病は苦しむことによって、同時に他者を攻撃することによって、
自我を救うというマゾヒズム的企てなのである。

●うつ病は普通、自分を絶望的だと思うような善良な人に見られる。
その人は今や自分が受ける苦しみによって
自分を免責しながら他者を攻撃できる人なのだ。
「私がどれほど勇敢に苦しみに耐えているかご覧なさい!」
「私がこんな状態になったのは、あなたのせいだということがわからないのか」
うつ病は攻撃である。
しかし本人はこのような説明をナンセンスだと思う。
なぜなら自分が世界に提示したいと思うイメージと一致しないからである。

(小倉による解説)
二度のうつ病を経験した私は、
私自身の経験に照らすと当時の私が共同体感覚を欠き、
ヴィクティム(犠牲者)的な優越の獲得を目指して、
ひたすらに自分を責めていたことを思い出す。
自分を傷つけることによる優越を獲得するというフィクションの世界へと
逃避していたのだ。
その側面において、私はアドラー派の見地からの論理を受け容れる。
だが、それが同時に他者への攻撃であったかどうか、はあまりピンと来ない。
しかし、私のような当人は「ナンセンス!」と叫ぶものである。
なぜならばそれは自分が世界に提示したいイメージと異なるからだ。
その意味では、私は多かれ少なかれ何らかの世界に対する攻撃、
もしくは抗議を行っていたのだろう。
「こんなに苦しんでいる私を責めるなんて、
世界はなんて理不尽なんだ。私は悪くない」
おそらくそう思っていたのではなかろうか。
ただし、私の見解はあくまでも私の経験に対するものだ。
広く一般のうつ病に対する見解について私が語るものではない。
アドラー心理学を学ぶことにより、
一人ひとりが自分なりの見地を持っていただきたいと思う。

「現代アドラー心理学」上巻 G.J.マナスター+R.J.コルシーニ 春秋社
(17)第九章 パーソナリティのタイプ より

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