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11月11日配信 アドラー心理学書籍要約&解説 メルマガ  vol.16 「現代アドラー心理学」上巻 (16)第九章

  • 2016年11月11日


vol.16 「現代アドラー心理学」上巻 第九章 パーソナリティのタイプ より

●アドラーは人生や行動を「有益」(建設的)もしくは
「無益」(非建設的)に分けて考える。
アブノーマルな人は個人的優越が重要だという初期の観念から
出発するかもしれない。
もし人が無益の側に行きすぎてしまったならば、その行動を「不適切」
と呼ぶことができる。
それがさらに極端になると異常と呼ぶことができるだろう。

●異常性は多様な方法で表れる。
(A)人に会わない、回避、忌避
(B)攻撃、押しつけ、他者を押しつける、犯罪
(C)他者を敵と見る

●人はどのようにして異常になるのか。
彼らは自分が間違った方向へ向かっていることをわかっているに違いない。
いや、そうではない。彼らは私的論理(プライベートロジック)という
自己欺瞞により、自分の行動が優越という積極的目標へ向かっていると
信じているのだ。
何かと言い訳をし、現実をゆがめることにより自らを欺くのである。
殺しやは次のように言い張る。「私がやらなければ、誰かが殺すだろう」
ろくでなしは次の様に言い訳をする。「生まれつきの金持ちは働かなくていい。
なぜ自分が働かなければならないのだ?」
自殺しようとする者は言う。「私の苦しみは終わる。
そして妻は私を愛さなかった罰を受けるのだ」
分裂病者は考える。「引きこもるというのが私の結論だ。
私は自分だけのよりよい世界にいることにしよう」

(小倉による解説)
神経症者は誤った私的論理プライベートロジックにより、
あらゆることを正当化する。
そのため、自分が間違った方向に進んでいることにすら気づかない。
必死に正しい道を歩んでいると考え、より自分を辛い環境へと追い込むのだ。
勉強で一番になれない者はスポーツや芸術で一番を目指す。
この段階ではまだ建設的でコモンセンスに適合した社会的な補償努力だ。
しかし、やがて、それが非行少年になることや犯罪に手を染めること、
やくざとつきあうことなど、より安易でかつ見せかけの優越、
つまりは「強くなる努力をする」のではなく
「強く見える努力」をするようになると非社会的で無益、非建設的な方向へと
進むことになる。
しかし、本人はそれに気づかない。
それこそが優越であり劣等感の補償であると自分をだますのだ。
その誤った方向は犯罪や非行だけではない。
ろくでなしと書かれる働かない、という道であり、病気になるという道であり、
自殺をする、という道である。
アドラー心理学はそう教えてくれる。

●アドラーは言った。「社会的不適応は、劣等感という社会的結果
および優越を手に入れようとする努力に起因する」
「彼らの劣等感および優越感は心理的機構によって社会的に有益なチャネルへ
と切り替えられる。このメカニズムの原動力は、社会的に考えること、
あるいはコモンセンスの論理である」
非病理的な人は、共同体感覚において勇気とコモンセンスを持って活動する。

(小倉による解説)
有益と無益、建設的と非建設的行動を分けるのは勇気の有無である、
とアドラー心理学は考える。アドラー派のカウンセリングはクライアントに
勇気を与え、ゆがんだ私的論理をコモンセンスを用いながら、
共同体感覚の方向性へと促進することにある。

●間違いや失敗がなく完璧な人などいない。
だが、たいていの人は「私は別だ。私は完全に善良でなければならない。
私は完全に成功しなければならない」と考える。健康な人ですら
逸脱する私的論理を持っており、コモンセンスから外れた方法で
補償しようとするのだ。

●神経症患者とは何か。
神経症者とは、人生に非論理的に反応することによって自他にとって
不要なゴタゴタを起こしている人のことである。
不要なまでに罪悪感や劣等感を持ち、疑り深かったり、怒ったり、
緊張したりする人である。アドラーは神経症の起源を
当初は器官的劣等に由来する組織的適応不全と考えた。
後に彼はそれを二つのコンフリクト(葛藤)と見るようになった。
(A)権力、受容、優越を求める強い欲求
(B)強い劣等感 
である。
「私は重要な人物になりたいが、自分は何物でもない」と感じるのである。

●さらにアドラーは、神経症を共同体感覚から離れていく運動と見た。
それは自分だけが重要であるという方向性を持ち、
グループの利益になることから遠ざかるような人に見られるというのである。
アドラーは病理を私的な感覚とコモンセンスの間のコンフリクトと見た。
ドライカースはこう言った。「神経症的人間はコンフリクトに直面するとき、
自分自身の意識から自分の私的な感覚を隠すことによって、
それが自分の意識やコモンセンスと衝突するときに
自分自身の諸傾向を認めようとしないことによってそうする。
彼は自分の社会的欠陥に言い訳を与えるためにアリバイを探す。
もし、アリバイとして病気の徴候が用いられるならば、
神経症という診断を下すのが正しいであろう」

●神経症者は心理的に間違った扱いを受けてきた子どもにおいて起こる。
(A)子どもを無視すること
(B)子どもを拒否すること
  (C)子どもを甘やかすこと
(D)子どもを哀れだと思うこと
 である。

●神経症の問題はほとんどつねに、自分は良い者ではなくダメな者だ、
自分は誰にも受け容れられない、成功できない、どこにも所属できない、
という信念に帰着することがわかる。
この悲観的な面が表面に出てこないのは、
自分が意気阻喪していることを隠すからだが、
セラピストが十分忍耐強ければ神経症の根本的な要因が
深い意気阻喪であることが必然的にわかる。
つまり「誰も私を愛することはできない、誰も自分を必要としていない、
私は成功などできない」という感情である。
アドラー派のセラピストから見れば勇気を持つように向かう
どのような運動であれ、それは進歩を意味する。

(小倉による解説)
私がエグゼクティブコーチング、カウンセリングを二年間続けている
クライアントがいる。彼は当初、経営や上司部下のコミュニケーション、
攻撃的なくせについて相談してきた。しかし、その根っこにある彼の強い劣等感、
自信のなさ、他者への不信感を感じた。
私は彼の劣等感が起因している可能性を彼と話し合ったが、
彼はかたくなにそれを拒否した。
自分の劣等感を隠し、それについて話すことを拒んだのだ。
私は、劣等感に関する話をすることをやめ、辛抱強く二十回、三十回と
彼に対する勇気づけを続けた。
そして、彼が自らアドラー派の早期回想分析などを受け容れることが
できるようになったタイミングで、彼自身が自分の奥にずっと隠してきた、
見ないようにしてきた幼少期のいじめ体験や、
親戚に対する強い劣等感を共に思い出すことができた。
そして、それが現在の強い不安やおびえ、それによる自己防衛のための攻撃性に
つながっていること、を共有することができた。
今、彼は別人のようにおだやかで、自分の弱さを認めることができ、
人生が格段に楽になったと言ってくれている。
私はカウンセラーとして彼の役に立てていることがとても嬉しく思う。
そんなことを思い出した。

●神経症患者は高い理想を打ち立て、低い評価を他者に帰することにより
自分のひきょうな行動を正当化しようとする。
勇気を失った人は他者を評価せず見下す。
「私は正直だ。彼とは違う」「私は彼と違って人をだますことはしない」
「私は彼と違って深酒などしない」
これがアドラーの言う「見下し傾向 depreciation」である。
自分がどれほど優越し、苦しんでいるかという補償的方法を見いだし、
他者を見下すのである。

(小倉による解説)
友人の何人かがSNSなどで政治家や有名人をこきおろすのを見る度に
私は悲しくなる。彼の強烈な劣等感が「見下し」になっていることが
透けて見えてしまうからだ。
彼が有名人や政治家をこき下ろす度にこう聞こえる。
「私は自信がない。私は怖い。だから他者をケチョンケチョンにバカにする。
それにより、私が立派な人間であるように見せたい」
そんな声が聞こえてきてしまうからだ。
皆さん、どうか、他者をバカにしたり、見下す行動を辞めて下さい。
私は友人のそんな言動を見たくないのです。
もちろん、それはあなたの課題で、私の課題ではないのだけれども。

「現代アドラー心理学」上巻 G.J.マナスター+R.J.コルシーニ 春秋社
(16)第九章 パーソナリティのタイプ より

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