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10月21日配信 アドラー心理学書籍要約&解説 メルマガ  vol.15「現代アドラー心理学」上巻 (15)第八章

  • 2016年10月21日


vol.15 「現代アドラー心理学」上巻 第八章 パーソナリティの維持 より

【 防衛機制 】

●アドラーによれば、すべてのノイローゼ的行動は「防衛的」であり自尊心を
「防衛」しようとするものである。そのような行動は隠されている時は
「自己防衛的行動」と呼ばれ、顕在化されたときには「言い訳」と呼ばれる。
どちらも同じ目的を持っている。つまり、人が素直にあやまちや無能力や
劣等性に直面することを防ぎ、それによって自尊心を守るためである。

●「私は何かを達成したい。しかし、できない。どうすべきか」この挫折を
処理する方法は二つある。一つは「自分にはこの課題をなし遂げる十分な能力がない」
と認めることである。もう一つは次のように思ったり言い訳をすることである。
「その課題はそれほど重要ではない」「邪魔された」などである。
このような「防衛」あるいは「言い訳」(他者に言わなければ防衛であり
言えば言い訳となる)は気分を良くさせるのに役立つ。とどのつまり、
それは多かれ少なかれ嘘である。それは合理化である。

●たとえば私がグループの中にいて、誰もが芸術のことを話していると
仮定しよう。しかし自分は芸術についてほとんど知らないので私は劣等感を感じる。
その場合、その防衛方法は二つある。一つは積極的で有益な技術である。
すなわち図書館に行き本を読み物知りになるということである。
これは建設的で有益である。もう一つは「芸術など重要ではない」と思ったり言ったり
することである。これは全社に比べて補償的に劣る。補償とは、自分が脅かされて
いるときに何か建設的なことをしようとすることである。

●たとえばいじめっこに脅かされた弱虫が行う防衛には二つある。
一つはボクシングのレッスンを受けるというポジティブな補償であり、もう一つは
非建設的で無益な技術である。つまり、自分がいじめっ子を殴っているということを
空想したり、いじめっこを見下したりする防衛である。

●日常的な言い回しをするのであれば、自分が力量不足であると感じたならば、
弱い部分を強くするよう努力をするか、もしくは言い訳をするか、である。
正常な人(勇気がある人)は人不十分な部分を積極的に努力して補償しようとする。
適応不十分な人(勇気のない人)は攻撃的になったり、逆に尻込みしたり(回避)して、
黒を白に、もしくは善を悪にしようとする複雑な思考に逃げ込む。

●劣等感を扱うのには「建設的」「非建設的」という軸に加えて「受動的」「積極的」
のという二つの軸がある。
建設的で受動的な道とは、不完全さを受け容れ否定しないことであり、非建設的で
受動的な道とは、現実を否定し自分を守ることである。建設的で積極的な道は
勉強、努力であり、非建設的で積極的な道とは、他者の蔑視(バカにすること)であり、
批判すること、侮辱、嫌がらせ、非難、なじる、酷評、こきおろしなどである。

(小倉による解説)
本当に強い人は強がらない。強いふりをしているのは優越コンプレックスであり、
劣等感の表れである。同様に、相手を攻撃したり、誰かの悪口、非難、酷評、批判
することも同様である。つまり、本当に劣等感のない人は、強いふりや他者攻撃を
しない人、ゆったりと構えている人である。そして、言い訳をせず、自分の弱さを受け容れ、
認め、恥ずかしがらずに現す事が出来る人である。つまり、弱さを含めたありのままの
人間らしい自分をさらけ出せる人である。そして、足りない部分を補償しようと
努力、協力出来る人である。そういう人に私はなりたい。
まずは強がることをやめ、弱さを認めることから始めたいと思う。

【性についてのアドラー派の見解 】

●レイ・ロウ教授はかつてこう述べた。「フロイトにとっては性が人を支配する。
だがアドラーにとっては人が性を支配する」この表現はアドラー派の立場を
ほぼまとめている。

●睡眠や食物は本当のニーズ、生理的欲求であるが性はまったく違う。
倫理的、宗教的、文化的理由で自ら性的満足や快感を捨てる人は、それにより
傷つくことはなくまっとうに機能している。

●他社を暴力的に支配する強姦や愛人から愛人へと単なる性交を求めるドンファンは
歪んだ劣等感の指標でしかない。アドラーは「一は二以上である」と述べている。
建築についてミース・ヴァン・デル・ローエが「より少ないのが、より多い
Less is more 」と述べたように、性の相手が多いのは、より少ないのである。

●セックスは喜びや相互の所属感をたかめるために用いられるが、時には相手を
脅迫したり見下したりするための武器にもなる。快感や絶頂感を意図的に避けることは
「私はあなたを十分に愛していないからあなたは私にオルガスムを感じさせることはできない」
という否定的敵対であるし、セックスを拒否することで「あなたは魅力的ではない」
と感じさせ、また、他人と性関係を持つことで「他の人の方がいい」ということもできる。

●不感症と不能はほぼ同じであり、どのような兆候であれ、性的機能異常は、
すべて同じ理由による。すなわち共同体感覚の欠如、仕事の課題、交友の課題、愛の課題を
避ける兆候であり、人生に対する非協力的であるという傾向、そして劣等感である。

●もし人が劣等感を持っていれば、臆病やいじめ、仕事を避ける、逆に仕事狂いになる、
もしくは禁欲や逆に品行が悪くなるなどあらゆる方法で表現される。
しかし、それらはすべてマスクでしかない。そのマスクの下にあるのは、恐れであり
自分は無能であり、不十分であり、受け容れられないという劣等感である。
この劣等感を隠すマスクとして罪悪感や緊張感、不安感も表れる。これらはすべて、
性的なものであれ、その他のものであれ、恐れに基づいている。
その恐れとはすべて貧弱な自己評価に基づいているのだ。

●インポテンツ(勃起不全)を恐れている男に関してハロルド・モサックはおもしろい
逸話を報告している。インポを恐れているクライアントがセラピストから次の話を聞いた。
「インポテンツの犬はいない」それを聞き彼はこう付け加えた。
「犬は自分がうまくやれるかどうかなど心配しない」と。

●インポテンツは、人前でうまく話せないという状況に類似している。
そういう人は一番になりたいとか、よい印象を与えたいと思い、うまくできないこと、
立派だと思われないこと、ヘマをすることを恐れる。妻に早漏だと非難されると
自分の無能を心配し勃起できなくなってしまうのだ。性的に立派でなくてはならないと
感じている人はインポテンツになりがちだ。男性が自分の男性性と性行動を混同していると
精神的なインポテンツになるのだ。

●健全な人はときたま失敗しても「そういうこともあるさ」と笑い飛ばすことができる。
性的な失敗だけでなく全体的な関係が重要だという態度を取る。しかし、不安定感を
持ち完全であろうとする人は、たった一度の失敗で打ち負かされてしまうのだ。

●夫婦間において時にセックスは武器となる。相手を怒らせ、相手に対して無価値だと
感じさせようと嫌がらせをするためにセックスを拒むことがある。また、相手を膝まつかせ、
相手に惨めな思いの奴隷にする、支配するために拒むこともある。また、それは優越であり
支配であることもある。女性が「セックスってなんて痛いの!苦痛なの!」と言い、相手から
快楽を奪い、暴行を加えているかのような気持ちにさせ苦しませるために使われることもある。
また、相手に失敗を認めさせるため、自らの価値を高め証明するためにセックスを
用いることもある(主に女性)。そのために時に女性は満たすことの出来ないような
要求を相手にしたり、相手が懇願するまで拒否したりする。しかし、セックスを武器として
相手を傷つける方法は次第に力を失う。つまり、傷つけられた相手は何らかの方法で
応戦するか、あるいは撤退してしまうからだ。

(小倉による解説)
 私の体験から言って、セックスは・・・・・・。
 いや、語らずにおこう。自分のことや、女性のことがよくわかり、とても勉強になりました!
いろいろと反省。

「現代アドラー心理学」上巻 G.J..マナスター+R.J.コルシーニ 春秋社
(15)第八章 パーソナリティの維持 より

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