作家、講演家、心理カウンセラー

小倉広オフィシャルWebサイト

小倉広事務所 HOME

10月14日配信 アドラー心理学書籍要約&解説 メルマガ  vol.14「現代アドラー心理学」上巻 (14)第八章

  • 2016年10月14日


vol.14 「現代アドラー心理学」上巻 第八章 パーソナリティの維持 より

●不安定とは、自分がどこに所属しているかわからない、社会的所属感がない
自覚である。自分や他者がどういう人間であるか分からない状態であり、
世の中が危険や未知でいっぱいだと感じやすい。

●常に不安で不安定な人は、自分が受け容れられたり安定感を感じるのは、
自分が優越しているときだけであると信じている。優越するためには、
あるがままの自分ではだめであり、他者よりも優れていなければならないと思うのだ。

●高い野心を持っていて自己イメージが野心よりも低い場合人は
「私はあるべき状態にないから、自分で自分を受け容れることはできない。
自分で受け容れられないのだから、他人も自分を受け容れることができない」と思う。
その結果、その人は居心地が悪く、常に不安定である。

●不安定な人のイメージはグループでピラミッドを作っているようなものだ。
上に行くほど小さなグループ。トップには一人。一番不安定は誰か。
間違いなくトップの者である。だが、一番下の支えている部分にいるならば
不愉快に感じる。なぜならば一番上になりたいからだ。

●一番上になっても、まだ不安定だと感じる。不安定感を持つ人は
金や地位を手に入れても決して安定感を持たない。なぜなら常に上や下を
見ているからである。つまり水平的(横の関係)の人間ではなく
垂直的人間(縦の関係)の人間だからである。唯一の解決策は、他者よりも
優越したいという目標を放棄し、我々が人生に属しているのはただ人間であるからだ、
ということを哲学的に受け容れることである。

(小倉解説)
私自身がかつて強い不安感を恒常的に持っていたので、その謎が明かされるようで
非常に興味深く読んだ。と、同時にその謎解きにより大変恥ずかしい思いを
しているのであるが。。。
他人と比べたり競うのをやめること。すなわち縦の関係から脱却し、横の関係を
移行すること。アドラー心理学を学ぶ以前から頭ではわかっていたつもりだが、
そのメカニズムが詳細かつ具体的に記されることで、脱する良いきっかけに
なったように思う。この教えは、仏教や禅、キリスト教や道教、儒教にも通ずる
古今東西を貫く真理であると思う。だが、アドラー心理学の教えが私を最も
大きく揺り動かし、変わりつつあるきっかけをつくってくれた。

●ノイローゼの人は手を緩め、自分が受け容れられるのだということを
受け容れるならば、もはや進歩や改善の努力をしなくなると思っている。
だが実際はその逆なのだ。他者に優越しなければならぬというノイローゼ的信仰から
開放されれば、快適に感じ、人々と気楽につきあえ、もっと多くのことを達成できる。

●ある猿がいくつかの操作をして鍵を開けるとバナナが見つかるという仕組みで
実験を行われた。十分に餌を与えられた猿は楽しみのために開けその箱をあけるのに
15秒かかった。しかし、その猿が飢えているならば、もっとずっと時間がかかる。
その猿は過剰に動機づけられ不安だからである。

●アドラーは一つの比喩を述べている。もし人がジャングルにたった一人ならば
不安を感じる十分な理由となる。なぜなら人間は弱いし、野獣に対抗できないからだ。
だがグループでいるならずっと安心する。しかし、グループの中で一番に
なろうとすると不安定感が生じてくる。他人よりも優れていないと受け容れられない
という観念を持つからだ。不安定感、劣等感のような不快な感情を解消する策は
共同体感覚を持つことである。

(小倉解説)
恐怖に動機付けられた人間は決して高い生産性を得ることはできない。
一時的にそれが可能となっても長続きはしない。燃え尽きるからである。
継続的に高業績をあげるためには、心の安定が必要である。
それはジョン・ボウルビー教授が提唱する「愛着理論」における「心の安全基地」と
同じ種類のものだろう。安全基地が確保されて人は初めて冒険を始める。
勇気が満たされた時に人は初めて困難を克服できるのだ。そして、そのために
必要となるのは縦の関係を脱却して、横の関係で生きること。人と競ったり争わず、
他人を信頼し、自分をありのままに認める事に他ならない。
人は生きているだけで価値がある。「存在価値」に自ら気づき、それを受け容れること。
そうすれば「機能価値」を発揮するための前提条件が整うだろう。
それぞれの人に適した、それぞれの人が持つ能力が発揮されるだろう。
ただし、それはその人なりのものであるだろうが、それはその人にとってより
ベストに近いものとなるだろう。それ以上何が望みだろうか。

●ノイローゼの本質はほとんど感受性の度合いによって定義される。
二人の青年がそれぞれ女性から拒否された場合、一方は笑い「いいわ」と
言わせようとし続けるのに、他方はひどく傷つき二度と会おうとしないかもしれない。
とても傷つきやすいからである。

●アドラー派のアルバート・エリス博士はABC理論によって、アドラー心理学と
若干違う言葉を使うがほぼ同じ事を言う。すなわち事実上、結果Consequenceを
生み出すのは、出来事 Activating event ではなく、その人の信念体系 Belief system で
あるという。これはアドラーの言う認識とほぼ同じであるが、それは個人の
情緒的側面である敏感さと結びついている。つまり、エリスの言う信念体系は
感受性 Sensitivity に影響を受ける。自ら安定感を持っている人は
過剰に敏感にはならない。自信のある人は有益な目標に向けて活力や思想を動員する。
一方、劣等感の強い人は感受性に起因する怒りや情動に弱い。
理想と現実のずれを有益な方法で埋めようとせず情緒を使おうとするのである。

●過敏な人、感受性の強い人は、きわめて多様な方法で他者や自分の人生を試し、
否定的反応や虐待を引きだそうとする。拒否されたり、侮辱されることを求め、
それに到達すると歪んだ満足を感じ、世の中にむかって「自分がどれほど
虐待されているか見てご覧なさい!」と言わんばかりである。
そのような人々はたくみに他者を怒らせたり、傷つけられたり、拒否されるように
仕向けるのである。つまり、苦痛によって優越感を得ようという目標を持っている。
「自分がどれほど苦しんでいるか見てごらんなさい!」

(小倉解説)
不安定を強く感じている人は、自らそれを求めている。それによりゆがんだ
優越を感じることができるからだ。私もその傾向を持っているように思う。
自ら自分を傷つけること、他者から拒絶されることを(無自覚に)求めていることが
あるように思う。このような傾向をアドラー心理学ではヴィクティム(犠牲者)
というライフスタイル(性格)のタイプ分類で呼ぶ。私はこのタイプからの脱却を
模索中であり、だいぶ抜けてきたように思う。
が、まだまだ完全には脱しきれてはいない。悲劇の主人公、悩み苦しむ
高潔な人間であることを楽しみたいと思うクセが強いからだ。
(もちろん無自覚にやってきた)私の場合はもう一つエキサイトメント・シーカー
(興奮探し、ワクワク探し)のタイプも強いため、被害者、犠牲者としての
気高い人生をエキサイトメントとして楽しんできた側面がある。
いわばダブルでこの傾向を持っているのだ。そろそろ、普通であることの
素晴らしさを味わえるようになりつつあるようになってきたが、なんとも
業の深い人生であろうか、とアドラー心理学を学んでから余計にそれを感じている。
それも含めて、自分を受け容れよう。

「現代アドラー心理学」上巻 G.J.マナスター+R.J.コルシーニ 春秋社
(14)第八章 パーソナリティの維持 より

Top