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8月3日配信 アドラー心理学書籍要約&解説 メルマガ  vol.13「現代アドラー心理学」上巻 (13)第八章

  • 2016年08月03日


vol.13 「現代アドラー心理学」上巻 第八章 パーソナリティの維持 より

● 「情動」という言葉は「動機」と同じ語根を持っている、つまり、情動は
我々を動かし、行動への衝動という役をなす。我々は情動をライフスタイルの
一部とみなす。失敗した人は落胆する人もいれば次はもっとうまく
やろうという人もいる。情動は出来事そのものの中ではなく
その人独自の解釈の中にある。

●情動とは動機づけである。我々は目標を達成しようと情動を自ら作り出す。

●アドラー派の立場は「情動は知性に従う」。つまり情動は
目標、理念、意図によりコントロールされる。認識が愛情に先行するのであり、
前もって考えがなければならない。我々はまず考え、それから感じるのだ。

●「愛」や「喜び」のような結合的情動は人々を結びつけ「憎悪」や「恐れ」
のような分離的情動は人々を分裂させる。

      

●アドラー派は誤った行動を感情のせいにして大目に見たりしない。
怒りのあまり自分のしていることがわからないという人はいないと
信じるからである。個人は責任を負う者と見る。そういうわけで殺人者はまず
「殺したい」と考えるのであり、それから後に怒って相手に打ちかかるのである。
つまり怒りの前に考えが起こるのだ。

●すべての行動には目的があり、意図的であるため、すべての行動には
責任がつきまとう。情動もまた目的がありライフスタイルの一部であり、
行動にエネルギーを与え活性化させるものである。

【 小倉による解説 】
「殺人」という言葉に、先日起きた相模原の事件を想起させられる。
アドラー心理学的に見れば、あの事件こそまさに「殺したい」という
考えが先にあり、あとから情動が喚起されたと言えるだろう。
薬物的な問題が原因であるかのような報道があるが、その影響は
ゼロではないにしろ、先に「知性」すなわち「認識」があり、
その後、情動が創り出されている。「ヒトラーが降りてきた」などという言葉は、
まさに後付けの理由であろう。圧倒的にコモンセンスとずれている
プライベートロジックであり、ベーシックミステイクであり、
それはすなわちライフスタイルであるといえよう。

●個人内コンフリクト(葛藤)について、フロイト派はイドとスーパーエゴは
争っている、つまり生得的欲望と社会的欲求の葛藤がある、という。
アルバート・エリスは他者を満足させる欲望と自分を満足させる欲望の
コンフリクトがあると考える。カール・ロジャースは自然が要求するような生活を
営むことと、他の人々を満足させようという欲求の間にコンフリクトがあると見る。
しかし、アドラー派はコンフリクトがあるのではなく「意図的に決定を下さない」
という目的があると見る。

●「こうしたいが、できない」すなわち「イエス、バット」症候は
優柔不断を続けることで自分の義務を避け、何かが問題解決してくれるのを
期待することだと考える。また、問題と取り組まなかったことで
「良い気分」でいたい、という見せかけであり、責任回避であり、他の人に
いい人のように見せかけることであり、偉大な苦しみを感じることで自分を英雄視し、
道徳的優越性を発達させる。決断できないという未成熟さにより自らを
高く評価する自己防衛的操作であると考える。
「自分はなんと勇敢に苦難を受け容れていることか!私はなんと英雄であろうか!」

●何が起こるのか何をなすべきかわからない未来への恐れが「不安」である。
しかし、たえず不安を感じているのは不安ノイローゼと呼ばれる。
このタイプの不安は他者をコントロールしようという手段である場合が多い。
もしくは自分がすべきことから逃避しているかもしれない。不安は要求を避けたり
負けることを避ける手段でもある。

●アドラーはノイローゼ患者が不快な感情から逃れる4つの道を説いた。
(A)後退:自殺、失神、ヒステリー性けいれん
(B)静止:苦しむこと以外何も出来ないような一種の一般的無能力
(C)往復運動:紙に何かを書き付け破りまた書くなど、いつも遅れる、
始めようとしないなどの無意味な行動
(D)障害物の作成:試験を受けずにすむよう規則を破って追い出されよう
仕向けたり、頭痛など医学的症状を創り出す

●欲求不満(フラストレーション)の感情は自分が創り出したものである。
あなたが何か欲していることが手に入らず妨げられているとしても
「まあ、そういうものさ」ということもあれば「殺したい」というものまで
多様である。自分の欲することが起きるべきだ、と思うからイライラするのだ。
欲求不満は一つの感情に過ぎず、そのような感情を持たなければならないと
いうわけではない(そう感じないこともできる)
「こんなことが起きるべきではない」「彼女はああすべきだ」と言うならば
我々は怒るようになる。怒りや欲求不満は「……べき」から発する。

●ビーチャーは罪責を本質的には人が優越性を求めることの表現であると見る。
「私が自分の過ちゆえにどれほど苦しむかを見よ!
私は道徳的にいかに優れていることか!」こうした愚かな操作により
優越性の印象を維持しようとする。そして、さらに自分を罰することが
できるように罪の所業を繰り返すように強制されるのである。
「私は本当に良い人なのだ。どれほど私が罪責感に苦しめられているか見るが良い!」
このことにより現実の挑戦に直面しないですむのだ。
このようにして人は無益な苦痛に満ちた方法で優越感を維持するという
過ちを繰り返す。

(小倉による解説)
かつての私はメルマガや本の中で「贖罪」ばかりを書いていた。自分の罪を暴き、
自分の失敗を書き、反省を口にしていた。それは確かに正直な気持ちであったが、
今から思えばそれによる道徳的優越性の誇示、まさに自らを苦難のヒーローとして
英雄視し、優越を誇示していたように思う。それがばからしくなり、最近は
自己否定や自己の失敗をひけらかすことをやめるようになった。
それにより、書くことが減ってしまったのが玉に瑕であるが。

●何かの行動規範を破った者を罰しないように、非難しないように勧める。
たとえばジムが酒を飲み過ぎる場合、妻はジムをなじる。そこでカウンセラーは
何も言わないように、哀しい顔さえしないように勧める。その意図は、夫が自分の
良心と取り組むようにさせるのである。

(小倉による解説)
アドラー派は注目する行動が増える、と考える。良い行動に注目すればそれが増え、
非建設的な問題行動に注目してそれをなじるとその行動が増える。
そのメカニズムが明らかにされている。つまり、なじることにより、上記の
飲み過ぎるジムは「なじられる自分」「ダメな自分」により苦しむ悲劇の英雄になる
という優越を感じるのだ。また、それはマイナスのストローク、つまり妻から
かまってもらう優越も手にできるだろう。また、場合によってはだらしない
不良の自分を感じることもできるだろう。不良はカッコイイのだ。
人はあらゆる個人的見解で優越を手にするよう現実をねじ曲げ正当化する。
そのロジックの多様さたるや驚かされることばかりだ。人を罰したり責めたりなじる
ことの無益さが、アドラーにより極めてシンプルかつロジカルに説明されている。

「現代アドラー心理学」上巻 G.J.マナスター+R.J.コルシーニ 春秋社
(13)第八章 パーソナリティの維持 より

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