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7月7日配信 アドラー心理学書籍要約&解説 メルマガ  vol.11 「現代アドラー心理学」上巻 (11)第七章

  • 2016年07月07日


vol.11 「現代アドラー心理学」上巻(11)第七章 パーソナリティの発達 より

【 思春期 】

● 思春期に入る多くの子どもたちにとっての変化は、肉体的・内的なものだけではない。
大人のように見え始めるにつれて、多くのことが期待されるようになり、大人として
行動することが期待される。つまり、子どものままでいるのは適切ではない状況の中で、
ユニークな個人として自らを維持しようとしながら、新しい集団に適合しなくてはならない。

●若者が大人に変わり始めるとき、新たに獲得した独立と力を感得し始めるとき、
彼らは突然、それまでかぶってきた仮面を投げ捨て、自分たち自身になり
始めるかもしれない。仮面の上の微笑みはしかめ面になるかもしれない。
なぜなら子どもたちは大人になる歳に、過剰な演技をするかもしれないからである。
それを大人が見るとあたかも「よい子」が突然「荒々しい若者」にあるのである。
たいていの子どもにとっては、思春期とは「自分がもはや子どもではないことを
証明しなければならない」ということである。

● ジョニーはのんびり屋で気の良い末っ子だった。ジョニーは、
学校での成績が悪く、追い出されてしまう。彼は親に嘘をついて、新しい学校に
行かずにいた。怒ると激しくムチをふるうような厳しい父はそれを知り激怒し
ジョニーに飛びかかった。ジョニーは驚き父の腹を殴った。父は床に転がりうなった。
それ以来、家の中の序列が変わってしまった。父はもはや王ではなくなり、
ジョニーが命令する者になってしまった。

(小倉解説)
思春期とは身体的変化や内面の変化だけではない。準備もできていないうちから、
社会から大人であることを求められとまどう時期でもある。また、自分でも
気づかないうちにジョニーのように力を手に入れている時期でもある。
それをどのように捉えるか。捉え方を間違うと、ジョニーのように
「父に成り代わって」支配する王になってしまう。

それ以上に注目すべきは次ではなかろうか。「彼らは突然、それまで
かぶってきた仮面を投げ捨て、自分たち自身になり始める」という一文である。
つまり、思春期の子どもたちは「別人」になるのではなく、「仮面を脱ぎ捨て」
「自分自身になる」のである。仮面とは、子どもの仮面である。
親から期待される通りにふるまう仮面である。

親がアドラー心理学を学び、子どもが思春期になる前から十分に注意や尊敬、
自由や権利を与えられていた子どもは、力を手に入れてもそれを暴発させないだろう。
しかし、親から十分に注意や尊敬、自由や権利を与えられなかった子どもは、
力を手に入れたときに、親に対する復讐として、それを暴発させるかもしれない。
その暴発のさせ方は、ジョニーのように、親をまねたものになるかもしれない。

そして、力を暴発させた子どもへのアドラー派の処し方は、今からでも遅くない。
注意や尊敬、自由や権利を与えること、それにより、自分には能力があると
思わせること、つまり勇気づけなのである。

【 非行 】

●子どもは最初、親の注意を引こうとする。しかし、それが得られなかったら、
力尽くで要求しようとする。その結果、親子の間に戦いが生じる。敵意は非常に
強くなるので、どちらもただ一つの欲望、つまり自分が傷つけられたことに
たいして報復・復讐をしたい、という欲望を持つに至る。子どもはもはや
注目や力を得たいとさえ望まず、嫌われていると思い、自分を嫌わせることに
成功することによってのみ、自分の場を見いだすことしかできなくなるのだ。

●こうした若者は、非協力的になり、言うことを聞かなくなり、両親に
仕返ししようとしたり、傷つけるようなふるまいを始める。そういう子どもは
犯罪を犯すようになり、宿題をしない、家事を手伝わない、言い返し、図々しくなり、
のらくらし、約束を忘れ、近所の人を怒らせ、言われたことはしない。
そのような子どもの動機はすべて復讐である。それはやがて両親への反感から、
他者への反感、学校、隣人たち、すべての人への反感に発展しうる。

●七歳のオスカーは盗みをしていた。両親の寝室から香水、メダルを盗み始め、
罰せられても続けた。やがて兄弟の持ち物に手をつけ、近所の人にまで及んだとき、
両親は我々専門家に助けを求めたのだ。この子どもをインタビューしてみると、
母親に対して強い敵対感情を持っていた。少年は他の少年と共に近所で
自転車を乗り回したいのだが、母親がそれを禁じていた。我々の忠告を受け、母
親がそれを認めることに同意したところ、盗みはやんだ。

●非行への答えはもちろんその防止である。では、何が防止になるのだろうか。
子どもは尊敬をもって遇されなければならない。十分な注意と思いやりという形で
認められるべきは認められなければならない。子どもは認められ、家族に属し、
その一員であると感じる必要がある。それが十分でないと、子どもは注目と
平等を要求して、親と力比べを始める。賢明な親ならば、すべてのことにおいて
可能な限り、子どもを仲間に入れ、仕事や遊びにも子どもに「自分は価値がある者だ」
と感じさせるのである。これは子どもを甘やかすことでもなく、いいなりに
なることではない。子どもに必要な経緯と考慮を与え、選択の自由を与えながら、
訓練としつけための論理的な一貫性を用いるのである。

●すべての非行は家庭から始まる。子どもが他者を攻撃するのは、家庭で
攻撃するように訓練されたときだけである。乱暴であったり、子どもを無視したり、
甘やかす親はすべて等しく犯罪を醸成しているのである。

(小倉解説)
「何遍言っても宿題をしないんです」
「家事を手伝わないんです」
「何度言っても約束を破るんです」

アドラー心理学では「そのような子どもの動機はすべて復讐である」と考える。
それまで、十分に敬意と注目を得られなかった子どもの復讐である。
今からできることは勇気づけである。それは甘やかしではない。必要な下地であろう。

確かに非行は「非建設的な行動」である。非行に走る子どもは、間違った方法で
注目を集めようとしている。本来は建設的な行動により注目を集めるべきであろう。
それは勉強かもしれないし、スポーツかもしれない。その意味では非行少年の
非建設的な行動は改められるべきであろう。目的自体は間違っていないが手段の
選択が間違っているのだ。

しかし、非建設的行動を改め、建設的行動に切り替えることは極めて困難な
チャレンジである。その困難を実現するには勇気というガソリンがいる。
だからこそ、まずは勇気づけから始めねばならない。人が変わる、性格を変えることは
最大の困難だ。それには十分なガソリン、勇気が必要だ。だからこそ、勇気づけから
始めねばならない。しかし、我々は得てして、勇気づけもしないままに、相手に
変わることを要求する。「おまえのやり方は間違っている。根性を変えろ。行動を変えろ」。
しかし、ガソリンがない車は前に進めない。アドラー心理学は勇気づけに始まり、
勇気づけに終わる。相手に変わることを求める前に勇気づけから始めるのである。

「現代アドラー心理学」上巻 G.J.マナスター+R.J.コルシーニ 春秋社
(11)第七章 パーソナリティの発達 より

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