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6月17日配信 アドラー心理学書籍要約&解説 メルマガ  vol.9 「現代アドラー心理学」上巻(9)第六章 創造的自己とその構造 より

  • 2016年06月17日


vol.9 「現代アドラー心理学」上巻(9)第六章 創造的自己とその構造 より

●個人の選択は遺伝や社会などの外部の諸力によって一定程度(ソフトに)
限定されるが、自分自身の状況を自分で決断し、創造する(何かを創り出す)ので
自分の行動に責任がある。
これをアドラー派では「ソフトな決定論」と呼び、これはアドラーが想像力
と呼んだものに依存する。

●どんな職業を選ぶか、結婚するかしないか、どんな人と交際し、
どんな人を避けるか、みな自分の決断次第である。
重要なことは自分が何を持っているかではなく、持っているものによって
何をするか、である。

●アドラーは「人間はみな、自分自身のパーソナリティを創造する芸術家である」
と言った。我々自身という作品に取り組んでいるのである。

●我々がある人の目標を理解するならば、その人自身を理解することができる
ということを意味する。
人の最小の行動によってさえ、その人の目標を見ることが出来る。
ましてや大きな決定においてはなおさらである。

●理論的には、彼らはあらゆる状況において、選択の自由を持っている。
しかし、彼らはこの自由を活用しない。彼らの感情や先入観に従っていて、
よく考えないで行動するからである。

●人はしばしば自らの幸福や貢献を限定してしまう。
しかし、人は自他のパーソナリティを修正し、幸福で成功した人生を
選択することができると我々は信じている。

(小倉解説)

「嫌われる勇気」における「トラウマは存在しない」という言葉や、
拙著「人生を変える100の言葉」における「過去なんて関係ない」という言葉は、
大局的には正しいが、局所的には間違っている。
それはあくまでも「わかりやすい表現」を優先している「演出された言葉」
に過ぎない。それを正確に表現する際に「ソフトな決定論」はわかりやすく、
かつ正確な表現と言えるだろう。しかし、もう一度言うが大局的には正しい。
我々は自らパーソナリティを修正し、いくらでも幸福な人生を選択、
創造できるのだから。その際に外部環境を言い訳にして、
他人のせいにして人生の課題から逃げる選択をしたくない、と私は思う。

【 劣等コンプレックス 】【 劣等感 】【 動き 】【 努力 】【 目標 】
●我々は皆自分が劣っているという劣等感を感じ、そうでありたくないと思う。
自分がありたいと願う目標と現実であると思うことの食い違いが劣等感を生み、
それを感じないように努力するうちに、パーソナリティの創造性がある。

●アドラーの初期の考えであまり長く用いられなかったものに「力への意志」
Will to power がある。
この言葉はニーチェの権力観と混同されている不幸な言葉である。
アドラーが用いた力は他者を抑圧する力、支配的、抑圧的なものではない。
自分の人生の選択に対する制御感であり、劣等感を補償する力のことである。
それは独立、自信、能力、自己制御を意味する。

●「力を求める努力」という表現を放棄した後、アドラーがもっともよく用いた言葉は
「優越への努力」「完全への努力」であった。
この二種類の努力を区別することは有益である。
「完全への努力」は共同体感覚へ向かうことを意味する。一方「優越への努力」は
他者との関係において個人的優越、個人的利益へ向かうことであり、
他者の利害や社会生活の常識と合致しない。
人が優越を求める程度に応じて、不安や疎外感が予期される。

●人生の目標は当の個人に知られていないがすべての行動に方向を与える。
目標が共同体感覚と合致している度合いに応じて、その人の人生は有益で
積極的で健康的である。目標が共同体感覚からはずれており、
個人的な優越を求める努力の表現であるならば、その人の人生の傾向は
無益で否定的で不健康なものになる。

●子どもの最初の目標は注目である。
「見て!注意を向けて」と言っているのである。
彼らが自信があり有益な行動によって注意を引くことができないならば、
たとえ罰を受けることを意味しても無益な方法でそれを求めるであろう。
処罰は報酬でありえるのである。

●第二の目標は力である。有益な側面で行動している子どもは勉強や練習をする。
他方、否定的な側面で行動するならば強情で要求ばかりし、
反抗的でやりたい放題をするだろう。その子どもに処罰は役に立たない。
親の力に対抗し力を示すからである。

●第三の目標は復讐である。自分のしたいことに成功しなかった子どもは
親を怒らせるようなことをして復讐する。

●第四の目標は無能 inadequacy 無力さの提示である。
無能なものにわずかでも与えられる注目を得ようとするのである。
何かやろうとさえしなければ失敗することもない。

●この図式は大人でも同じである。魅力的、挑発的な服装、過剰なまでの香水や化粧。
人から認められたいという願望を建設的な方法で手に入れる。
しかし、ある人々はばかげた危険な行動でそれを手に入れようとする。
たとえば、生きたまま金魚を飲み込んだり、オートバイでトラックを飛び越えたり、
ギネスブックに名前を載せようとする。
彼らの目標は注目のための注目を集めることである。

●大人に見られる第三の目標である復讐は、世の中に敵意を持ち、皮肉屋、悲観主義、
座をしらけさせる者となる。第四の目標、無能さ無力さの提示は絶望であり、
行き着くところは精神病、特に深いうつ病と精神分裂病(統合失調症)である。

(小倉解説)
ドライカースによる非建設的な行動の4つの目標は子どものみならず
大人にも当てはまる。そして、その行動は「注目された行動が増える」ことの
理論的裏付けとなるのではなかろうか。
建設的な行動に対して注目されることは承認を意味する。人はそれを喜び、
その行動を増やす。しかし、非建設的な行動に注目して叱ったり、
たしなめたりしてもその行動が増える理由が、私は長らくわからなかった。
私は当初、それを子どもと同じ理由に求めた。つまり、叱られることも
「注目」されることであり、無視されるよりマシだ。
大人も同様にそう考え、非建設的な行動を増やすのだと思ったのだ。
おそらくその側面はあるだろう。
しかし、もう一歩進んだ第三段階の復讐と第四段階の無能さの誇示も
あると気づいた。たとえば、会社で上司に叱られる。
すると部下は上司に復讐するために、問題行動をわざと繰り返す。
もしくは「上司の指示した方法は正しい方法ではない」と証明し、自分の正当性、
優位性を主張するために無力さ、無能さを示す。
これは復讐の意味合いも兼ねているだろう。そのように考えると、
非建設的な行動に注目されたときに「大人」がその行動を増やす理由がわかるだろう。
しかし、その行動はどこまでいっても非建設的だ。
しかし、人はそれをやめることができない。我々は感情や先入観にとらわれて
よく考えずに行動してしまうからである。

「現代アドラー心理学」上巻 G.J.マナスター+R.J.コルシーニ 春秋社
(9)第六章 創造的自己とその構造 より

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