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5月12日配信 アドラー心理学書籍要約&解説 メルマガ vol.5 『「現代アドラー心理学」上巻(5) 第三章 パーソナリティの力動』

  • 2016年05月12日


vol.5 「現代アドラー心理学」上巻(5) 第三章 パーソナリティの力動

「現代アドラー心理学」上巻 G.J..マナスター+R.J.コルシーニ 春秋社
(5)第三章 パーソナリティの力動

●アンスバッハーは言っている「アドラーにとっては、個人(パーソナリティ)
の統一はもっとも重要な基本的な仮定である。そこから他のすべてのものが
引き出されるのである」

●矛盾し、葛藤し、予測できない人々でさえもパーソナリティの統一はある。
そういう人を理解するためには、その人の最終目標を理解しなければならない。
ロバートは人に最初に会ったときにたいてい相手を侮辱する。
そして相手が傷つき離れてしまうと、今度は相手に優しくし、埋め合わせをし、
相手の信頼を再獲得するのである。あるとき彼は彼女に最初にキスをした翌日に、
電話をして、自分が他の女の子を愛していると行って彼女を怒らせた。
それから彼は長い時間をかけてこの埋め合わせを行い、彼女の信頼を再度獲得した。
そうして彼は今度は彼女に性的関係を強要し、彼女が逃げ去るように仕向け、
1人で家に帰らせた。これが彼の標準的スタイルであった。彼は人に会った後、
相手の感情を傷つけるようなことをする。それから彼は埋め合わせをしようと
相手につきまとう。この気狂いじみたパターンは他の多くの仕方でも現れた。
たとえば学校で彼は一所懸命に勉強し、よく覚えるのだが、最終試験に時間通りに
来るのを「忘れる」のだった。彼は矛盾が好きで有り、混乱した状況を作り出すのが
好きだった。

●ロバートがセラピーを受けることによって、この矛盾にみちた行動の目的が
明らかになった。彼は目標に基づいて行動していたのである。
(A)注目:人々に認めてもらいたい
(B)力を示す:人を傷つけることによって自分の影響力を自覚したい 
(C)復讐:人々を傷つけ途方に暮れさせ、その後注目を取り戻し、再度獲得
しようとする 彼の種々のペテンは一つの目的を持っていた。つまり、人々を操り、
自分のことを認めさせ、彼が強い力を持っていることに気づかせる。

●彼の行動は一見すると矛盾しているように見えるが、それはちょうど株に
投資する人が買ったり売ったりするのは、利潤という最終目標のためであり、
売ることと買うことは矛盾していないのと同じことである。一見して矛盾した
行動をしているように見える人もその目標さえ理解すれば統一的な目的を持って
行動していることがわかるのである。個人のすべての行動はつじつまが合うのであり、
その人のライフスタイル(性格)を表現している。これはアドラー派の考え方の
中心ポイントである。個々の姿においては違って見えるが、つねに
全体としては(その人なりの視点で考えられた)完全、という概念に向けられている

●気落ちしている人がいる。彼は自分の弱さを想像上の力に変える。
アル中患者は自分がどこまで沈み込めるかを証明することによって
自分の優越性を追求する。マゾヒストは自分がどれほど苦痛を受ける事ができるか、
どれほど聖者で殉教者であるか、どんなに優れているかを証明しようとする。
それと同時にマゾヒストの目的は愛や結婚という人生の課題から逃避することでもある。
マゾ的に苦難を受ける聖者を演じることによって立ち向かうべき人生の課題から逃げ、
さらに切望している道徳的優越感を維持することができるのである。

●彼らは「私ほどみじめな者はいない」といい、自分が最良の者になれないから、
最悪の者になるという否定的な仕方で自分の優越性を証明しようとする。
彼らは常に「最悪」であれ「最弱」であれ「最・・・」であることを求めているのである。
最良であることも、最悪や最弱であることも、同じ目標に沿った一貫した行動なのだ。

(小倉解説)
「弱さは時に強さである」。病人は弱さによって家族を思いのままにコントロールする。
また社会的弱者も同様に自らを被害者、犠牲者にすることで殉教者、聖者たらんと
するのである。私たちは自分自身を「かわいそう」と思ったとき、自らが進んで
優越であるために弱者のポジションを狙いにいっているのではなかろうか、と
自問自答した方がいいかもしれない。それはつまり、愚痴を言うとき、不平不満を
言うとき、人を責める時、である。その時にアドラーが行ったようにこう自らに
問いかけるのがいいだろう。「私が今話していることは次の三つのうちの
いずれだろうか?『かわいそうな私』 『ひどいあの人』『これからどうするか?』
多くの場合、前者二つになるだろう。
その二つは共に「自らを弱者にすることによって優越たらんとする」行動なのだ。

●ビリーは刑務所でもっともタフな囚人と考えられていた。ある時彼は同室の囚人と
ナイフを使ってけんかをし、耳を切り落とされた。ある者が耳を拾い上げ病院に行けば
縫い合わせてもらえる、と行った。彼は軽蔑を込めて自分の耳を投げ捨てた。

●ビリーは脱獄計画を知っているという誤解を受け何ヶ月も独房に入れられた。
この経験の結果、彼は戦術を変えることに決めた。刑務所で最悪の者から
最良の者になろうとした。トップかビリか。いずれも「最・・・」の一例である。
彼はタイプライターや速記を学び、刑務所で一番信頼される囚人になり、
刑務所長の囚人書記になった。彼は別人のように変わったのであるが、それは
株を売ったり買ったりするのと同じように優越した者になろうという意味では
一貫しているのである。

●もし二人の一卵性双生児が生まれた時に引き離され、一方が思いやりや尊敬をもって
育てられ、優しく扱われ、高く評価されて生育したのに対して、他方は一貫しない
仕方で育てられ、あるときは粗暴に、有るときは甘やかされたとすれば、10歳のときに
再会した時、見かけは同じかも知れないが、パーソナリティにおいてはきわめて
違った存在になっていることであろう。

●しかし、だからといって、人は環境に支配されるわけではない。
大人は子どもに一定の影響を与えることができるだけである。子どもは自分自身の心、
意欲 Conation を持っており、遺伝と環境による限界の枠内で自分の人生を自分で
決めるのである。同じ家族で育った子どもが同じように見えるとしても、
パーソナリティに関して違いうる。一人は犯罪者になるかもしれず、一人は
実業家になるかも知れず、一人は労働者に、一人は教授になるかもしれない。

(小倉解説)
「過去なんて関係ない」は少し言い過ぎである。影響因であることをアドラー派は認める。
しかし、決定因ではない。それをシンプルに言い切ると「過去なんて関係ない」となる。
遺伝や環境の影響よりも、個人の創造的自己決定性を重視するのがアドラー派だ。

●教師は生徒全員の髪の毛にシラミがいないかどうかを調べた。
数人の子どもにシラミが見つかった。そのうち二人は同じ名字で兄弟だった。
二人とも救世軍が捨てたような衣服を着て、何週間も風呂に入っていないかのように
汚かった。明らかに彼らは汚い家庭環境の出であった。学校の書類を調べてみると
彼らの妹もこの学校にいることがわかった。看護婦は妹を呼び出した。
看護婦は妹をみたとき、自分の目を疑った。妹は汚れ一つなくまったく清潔であった。
シラミはいなかった。看護婦はその子の家を訪問した。そしてその家の汚さに驚いた。
にもかかわらず、このような恐ろしい環境の中でこの10歳の女の子は自分を
清潔にし、魅力的な着物を着て、遺伝的影響や環境的影響を克服することを
やり遂げたのだ。

●アドラー心理学は所有の心理学ではなく使用の心理学であり、役に立つ心理学である。
大切なことは我々が何を持っているかではなくどのように活用するかである。
そっくりの双子は遺伝的にも環境的にも同じ者を持っている。しかし、一人は
有益な人生を送るのに、一人は無益な人生をおくるかもしれない。
この違いを説明できるのは、ただ個々人の創造性だけである。アドラー心理学は
希望にみちた積極的な心理学である。すべての人が社会に貢献しうる人であり、
幸せな人生を送ることができると考える。もし、人が有益ではなく、自分のためだけに
ふるまい、他者を排除したり競争するだけならば、無益な者になってしまうであろう。

「現代アドラー心理学」上巻 G.J..マナスター+R.J.コルシーニ 春秋社  より

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