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4月20日配信 アドラー心理学書籍要約&解説 メルマガ vol.3 「現代アドラー心理学」上巻(3)序論 続き』

  • 2016年04月20日


vol.3 「現代アドラー心理学」上巻(3)序論 続き

【創造性】

●もしあなたが心理学や社会学を学んだならば人間の行動は遺伝と環境という
2つの因子に由来する、と言われたことがあるかもしれない。
しかし、アドラー派はこれに賛成しない。遺伝と環境は可能性と限界を与えるが、
人は自分で自分を作り上げるものであり、自分のパーソナリティーに対して
責任を負わなければならない。個々人は選択できるし、意思の自由を
持っているのである。我々は、生物のなかで自分の運命をそうとうな程度まで
自分で決めるというユニークな能力を持っているのである。
(小倉解説)
ここで言う創造性とはアドラー心理学用語で言えば自己決定性に近い意味合いが
あると思う。「人間は自分の人生を描く画家である」(アドラー)

●「もし私が『他人は敵であり、私は劣った人間である』と思っているならば、
以下のような方法で自分を守るだろう。
①人生の問題に関わらないようにする ②自分の本音を隠す ③退く、逃げる 
④うまくいきそうな安全なことしかしない ⑤自尊心を保てるような他の方策を探る
これらの行動は劣った部分を補うための過剰補償であり、
同時に優越性の追求である。(ハロルド・モサック)
(小倉解説)
アドラー心理学は極めてシンプルだ。あらゆる言動には目的がある(目的論)。
そしてその目的とは「優越性の追求や劣等の補償(これも優越性の追求の一側面
である)」もしくは「対人関係の回避」である場合がほとんどだ。
つまり(無自覚のうちに設定している)自分が目指す姿を達成しようと努力する
(優越性の追求)か、もしくは、傷つかないように努力するか
(これも優越性の追求の裏面だ)、のどちらかのために、行動をしている、
と考えるのだ。
上記、アドラーの高弟モサックの美しい表現はそれを端的に表現している。

【開かれた動機づけ】

●多くの心理学体系が「欲求」(水や食物への欲求など)や「動因」(性欲など)
に集中するが、アドラー派は一定程度までは賛成するがそれ以上ではない。
アドラー心理学は所有の心理学ではなく使用の心理学であり、欲求や動因よりも
主観的な目標に向けて自らを導くと考える。

●子どもは親の注意を引くために自分の人生を方向づけるかもしれない。
成長した後も人の目や注意をひくために運動競技や魅力的な外観、機転を
利かせることや利口であることで、また、ある人は普通ではないふるまいによって
注目を集めようとするのだ。これらはすべて主観的に決定した成功への目標を
追求していると見る。生きるということは選択するということを意味する。

【共同体感覚】

●精神的健康(人生の成功)は共同体感覚の機能である。共同体感覚とは
「人類との同一化」「共同の感情」「人生への帰属」であり、意識的に
発達させられるべき生得的素質・潜在能力である。

●共同体感覚にいちばんぴったりくる反意語は「利己心」であろう。
また「社会的不適応」(アノミー)も同様である。

●職業、家庭、社会においてどのようにふるまい、他者に影響を与えるか、
はすべて社会的問題であり、もっとも重要な人生問題である。

●犯罪者、問題児、神経症患者および自殺者になるのは、共同体感覚を
欠いた子どもたちである。彼らは共同体感覚に欠けているので、勇気にも
自信にも欠けている。

【完全への努力】

●アドラー心理学はしばしば大勢の権威者によって意図的に誤った解釈を
与えられてきた。彼らは「権力と劣等感」について以下のような間違った解釈を示す。
つまり、アドラーは「個人が他者に優越し、他者を従わせ、世界を支配するように
なることが重要だ」と考えているというのである。本当はまさにその逆なのに、だ。
(小倉解説)
「嫌われる勇気」などでアドラー心理学が知られるまでは、知ったかぶりする人から、
よくこのような誤解を受けたものだ。「あー、アドラーね。
あの優越と支配の心理学ね」その逆です。アドラー心理学は共同体感覚と
勇気の心理学なのです。

●アドラー心理学で定義する「優越」とは他者に対するものではなく、各個人が
目指す(無自覚な)より良くなりたい、より優れた人間でいたいという欲求に
そった努力をするものであり、成長力と近しい概念だ。「完全への努力」とは
「知覚されたマイナスから知覚されたプラス」へと動く活動性という概念であり、
自己改良と、より大きな能力を求める運動であり、他者へ対する優越とは
異なるものである。
(小倉解説)
「知覚」されたマイナスから「知覚」されたプラスへ。ここがキモ。
認知論、現象学と合わせて考えるとよくわかるがプラスとマイナスは
客観的なものではなく、個人の主観(知覚)で決定されるのだ。
だから、我々からすると明らかにマイナスだと思われる奇行や理不尽な
行動であっても本人にとってはプラスと「知覚」されている、と考えれば
謎が解けるだろう。共同体感覚に沿わない目標を無自覚に形成した人は
コモンセンスから外れたプライベートロジックで行動し、共同体から離れていき、
やがて幸福や成功から遠ざかっていく。

【劣等感】
●劣等感は誰にでも普通に見られるもので正常であり、よりよくなろうとする
活動への動機となる機能的なものである。しかし、劣等感に悩み、それを
克服するために定められる方向によっては、そのふるまいが建設的 Useful か
非建設的 Uselessになるかを決定する。
(小倉解説)
劣等感を補償するために人は大きく分けて二通りの行動を取る。一つは利己的な
行動だ。つまり劣等感を埋め合わせるために、威張って強く見せかけたり
(優越コンプレックス)、もしくは被害者のふりをして自分を弱く見せかけることで
同情を集め、行動しないための言い訳をつくったり(劣等コンプレックス)する。
そのいずれもが自分さえ良ければいいという利己的な行動であり、これにより
一時的に劣等感を補償することができてもそれは長くは続かないだろう。
なぜならば、その行動の裏にある利己的な感覚、すなわち共同体感覚の欠如が
やがてばれてしまい、他者との対人関係がうまくいかなくなるからだ。
もう一つの行動は利他的な行動であり、人を喜ばせよう、人に貢献しようという
行動だ。つまり劣等感を埋め合わせるために、誰かの役にたとうと努力し、
貢献しようと頑張ることだ。その行動が心からの貢献に向けられるのであれば、
それは共同体感覚に沿った行動として、人生を豊かにし成功へ近づけるであろう。
しかし、その利他的な行動が見せかけのものであり「いい人を演じている」
「良い評判を得ようと演技している」のであれば、むしろそれは前者の利己的な
行動でしかないため、良い結果を生まないだろう。前者の行動が
非建設的 Useless な行動であり、後者の行動が 建設的 Usefulな行動である、
と言えよう。

「現代アドラー心理学」上巻 G.J..マナスター+R.J.コルシーニ 春秋社 より

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