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9月9日配信 小倉広メルマガ vol.211 『 利他のつもりで、利己を貪(むさぼ)る 』



vol.211「 利他のつもりで、利己を貪(むさぼ)る 」

善行を積んでいるつもりだった。自分のことを考えず、相手のことを考える。
自分の時間を割いて、相手のために時間を使う。それを心がけていた。
そして、こう思っていた。
「ようやく自分も人様の役に立てるようになった。自分も成長したな」と。

しかし、それは偽りであったのだ。私はそれに気づき、愕然とした。
私は、自分でも気づかぬうちに「利他のつもりで、利己を貪(むさぼ)って」
いたのだ。

書籍執筆と講師業の大先輩であり敬愛する上村光典さん
(愛の経営研究会代表、株式会社エンパワーリング代表取締役)とお話を
させていただいている時に、上村さんがこんなことを教えてくださった。
→ http://www.empowering.co.jp/index.html

「我々講師は、本当に気をつけないといけませんねぇ。講師は受講者さんに
与えているつもりで、本当はその逆。チューチュー相手の血を吸っている。
講師は吸血鬼なんです。『先生、先生』とちやほやされて、『勉強になりました』と
感謝されて、自分ばかりが気持ち良くなっている。本当は貪って(むさぼって)
いるんです」

その言葉を聞いた時に目まいがする思いだった。
私は「与えたつもりで、本当は貪(むさぼ)って」いたのだ。

いわれてみれば、思い当たる節がたくさんある。先日も、知人からパーティーに
呼ばれ、スピーチをしてほしいと頼まれた。私は執筆で時間に追われているため、
いったんは断ろうと考えた。しかし、せっかくのお祝いの席で、スピーチまで
頼まれたのだから、ここはひとつ「利他の心」で「自己犠牲」をしようと考えたのだ。

私は時間のない中、無理やり時間をつくり、パーティーに出席した。そして「無私の心」で
スピーチをした。そして思った。
「昔の私だったら参加しなかっただろうな。私もようやく成長したな」と。

しかし、そうではなかった。私は「利他のつもりで、利己を貪(むさぼ)り」に来たのだ。
みんなからチヤホヤされることが嬉しくて、来た。ただ、それだけのことだったのだ。

己を愛するはよからぬことの第一なり。

修行の出来ぬも、事の成らぬも、

過ちを改むることの出来ぬも、

功にほこり驕慢(きょうまん)の生ずるも、

皆自らを愛するが為ならば、

決して己を愛せぬものなり。

「南洲翁遺訓」西郷隆盛

これまで、私は数え切れないほどの「貪(むさぼ)り」で人様に迷惑をかけてきた。
思い出すたびに恥ずかしく、迷惑をかけた相手の方に対して申し訳ない気持ちで
いっぱいになる。

しかし、反省しながらも、私は気づかぬうちに同じことを繰り返していた。
罪を償っているつもりで、さらに罪を重ねていたのだ。

ああ。では、いったい、どうすればいいのだろう。学んでも、学んでも、何も変わって
いないではないか。気が遠くなる思いの中、私は考えた。そして、こう思った。
ちょっと待て。本当にそうなのだろうか、と。

いや、そんなことはない。学んでいることは、無駄にはなっていないかもしれないぞ。
私は思いなおした。

かつての私は自分の愚行に気づきさえもしなかった。それに気づけるようになったのだ。
これは進歩ではなかろうか。そして、これからは、愚行を重ねる前に自問自答できるように
なるであろう。その結果、愚行の回数が少しは減っていくだろう。少しずつ、少しずつ、
ではあるけれど、人並みに近づいて行くだろう。

これは、良くなっている、と言えなくもないのではなかろうか。だったら、そのいい面を
見ようではないか。そして、それを受け入れようではないか。

ダメなところも含めて、ありのままの自分をそのまんま受け入れる。その時に人は変わり
始めるという。ダメな自分に目をつぶり、見ないふりをしたまま変わることはできない。
私はようやく自分を正視することができ始めた。だから、今度こそはきっと変われるのでは
なかろうか。自分を育てるのは自分。自分は自分を育てる責任者。東井義雄先生の言葉を
思い出しながら、私はそんなことを考えた。

【 編集後記 】

鎌倉は虫が多くいます。ひっこしてきて驚いたのは、巨大なタランチュラのような蜘蛛が
出没すること。

調べてみるとこの蜘蛛。ゴキブリなどを食べてくれる、毒もない、安全な益虫であることが
わかりました。人は見かけによりませんが、蜘蛛も見かけによりません。神様の使いでも
ある蜘蛛。殺さず大切にしましょう。

では、次回もお楽しみに!

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