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9月7日配信 小倉広メルマガ vol.209 『 「特別である」のをやめて「家族になる」 』



vol.209「 『特別である』のをやめて『家族になる』」

子どもを持つのが怖かった。家で晩御飯を食べるのが嫌いだった。
ましてや、郊外に住むなんて、考えることもできなかった。

DINKSで、夫婦ともにバリバリ働いて、毎晩都心のおしゃれなレストランで食事をする。
家は港区ど真ん中の高級マンションに住む。それが自分らしさであり、そうでなくてはならない。
「所帯染みた」「普通の生活」をするなんて、まっぴらだ……。そんな生き方だけはしたくない。
私は、ずっとそう思ってきた。

しかし、50歳にもなって、私はようやく気がついた。私は操られていたのだ。
踊らされていたのだ。

私を支配していたのは、アドラー心理学でいうところの「ライフスタイル」(性格)だ。
言葉を変えれば、それは「人生脚本」とも言えるだろう。

「ライフスタイル」とは、「どのような場合にはどのようにすればいいのか」という本人も
「無自覚」な「信念」の集大成だ。あらゆる人間はこの「人生脚本」とも言える
「ライフスタイル」(性格)を持っている。そして、それは誰に押し付けられたものでもなく、
自分自身で書き上げたものだ。

幼少期から10歳くらいまでの間に、家庭で、保育園で、学校で。親や先生や友達やきょうだいと
接する中で「こうすれば失敗する。こうすればうまくいく」そんな試行錯誤を繰り返しながら
「ライフスタイル」を作る。そして、10歳くらいになると「これでよし」とその脚本を完成させ、
そして、死ぬまで使い続けるのだ。

私は、何冊かの「人生脚本」すなわち「ライフスタイル」を持っている。そのうちの主要な
一つが以下だ。

「私、小倉広は『特別な人間』である。特別ではない(社会一般の人々)は努力をして
何かを成し遂げなくてはならない。しかし、特別である私はたいした努力をせずに、
特別な地位を獲得するのが当然である。そのために周囲の人は私を助けなくてはならない」

*小倉広メルマガ vol.207「あの失敗もこの失敗も、ライフスタイル(性格)が原因だった」参照
http://www.ogurahiroshi.net/?p=2617

そして、私が描く「特別な人間」の「特別な人生」が先にあげたものだった。
お洒落な都会の生活。それが私の人生であるべきだ、と私は「無自覚」に、そのような「信念」を
持ち、そして固く信じ込んでいたのだ。

では、なぜ、私は今、その信念がまちがっていることに気づき、そして手放すことができたのだろうか。
それは、アドラー心理学を学んだから、と言えるだろう。

アドラー心理学では「ライフスタイル」の形成に影響を及ぼす主たる要因として、以下のようなものを
あげている。「家族布置」(親きょうだいの家系図のようなもの)「出生順位」「家族価値」
「家族の雰囲気」そして一人ひとりの「ライフスタイル」を明らかにするカウンセリング技術の主たる
一つとして「早期回想」分析を用いる。私の先の「特別な存在である」という「ライフスタイル」は、
この「早期回想分析」を通じて明らかになったのだ。

正確な言葉は失念してしまったが、アドラーは以下のようなことを言っている。

「これまで自覚していなかったライフスタイルに直面してしまったら、その後、どうするかを
考えざるをえなくなる」。

まさに私はその通りになった。それまでその存在さえも気付かなかった、私の忌まわしくも
恥ずかしい「ライフスタイル」。「自分は特別な人間である」という間違った「鼻持ちならない」
思い上がりに直面した私は、その後、どうするか、変わるべきか、変わらざるべきかを
考えさせられてしまったのだ。

私は今、人生で初めて「普通である」ことの幸せをしみじみと味わっている。郊外に住み、
外食をほとんどせず、自宅でご飯を食べ、妻とテレビを見て、他愛のない話をする。

人生はなんて素晴らしいのか。

そして、焦りや、不安から解放され、穏やかな気持ちを味わっている。
それもこれも、自分の「人生脚本」「ライフスタイル」(性格)に直面することが
できたからなのだ。

ただし、私の場合もそうであるが「私は特別な人間である」というライフスタイルが
必ずしも100%害をもたらしているわけではない、ということも付け加えておかなければ
ならないだろう。この思い上がった、鼻持ちならないライフスタイルは、私のこれまでの
人間関係において、マイナスに作用する場合が多かった。人間関係がうまくいかなければ
人が幸せになることはまずできない。仕事も長期的にはうまくいかない。
だから、このライフスタイルは修正されてしかるべきだし、私はそうしたいと思っている。

しかし、このライフスタイルのおかげでこれまで私が頑張ってこられたのも事実である。
その意味では、あながち否定すべきものではないのかもしれない。そうではなく「特別」の
「あり方を描き直す」ことの方が賢明であるのかもしれない。
「特別」=「都心の華やかな生活」なのではなく、別な意味での「特別」を描きなおす。
そんな方法論もあるかもしれない。

【 編集後記 】

本日、Facebookに投稿した、私の「つぶやき」への反響がとても多くありました。
せっかくですので、それをここに再録し、編集後記に変えたいと思います。

「家族になる」
毎朝、妻が起きてくると「おはようございます」と挨拶をして、パジャマのままで
仕事をしている私の書斎にやってきます。そして、昨日見た夢の話を、最初から
最後までしてくれます。彼女の夢はいつもほのぼのとしています。舞台は学校だったり、
旅先だったり。いつも仕事で焦る夢ばかり見る私と違って、彼女はいつも夢の中で学生時代に
戻って楽しんでいるのです。私は彼女の夢の話を聞くのが好きです。
朝からとても幸せな気持ちになるからです。

毎晩、仕事が終わって家に帰ってくると、私はその日あったことを妻に延々と
報告します。仕事で出会った素敵な人のこと、嫌なことがあった時もそのまま話します。
知人や友人が活躍していて劣等感を感じた時もそのまま話します。
すごく疲れた時もそのまま疲れたーといいます。

妻は「へぇ」「そんなことがあったの」「よく頑張ったね」「大変だね」「疲れたでしょう」と
聞いてくれます。そうすると、私はほっとして、安心して、不安が和らいだり、頑張ろう、と
思えるようになるのです。
私は、小学生が学校帰りにお母さんに学校であったことを話している姿が目に浮かんできます。
小学生が私。妻が母。

そして思います。あぁ。これが、家族なんだ、と。

一昨日、人間塾の懇親会で「なぜ結婚するのだろうか?」
「結婚しなくても同棲でもいいのではないか?」という話題が出ました。

私は、うまく考えがまとまらなくて、あまり発言しませんでしたが、結婚って
こういうことかな、と思います。

「家族になる」

タレントのスザンヌが離婚会見で「夫婦にはなれたけど、家族にはなれませんでした」と
言っていてた言葉がずっと耳に残っています。

今、私は50歳にして、初めて「家族になる」という意味がわかったような気がします。

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