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9月2日配信 小倉広メルマガ vol.207 『 あの失敗もこの失敗も、ライフスタイル(性格)が原因だった』



vol.207「 あの失敗もこの失敗も、ライフスタイル(性格)が原因だった」

つくづく失敗だらけの人生である。薄々気づいていたのだが、どうも似たような失敗が多い。
ということは。おそらくは原因は外ではなく中にあるのだろう。私自身が変わっていないから、
環境が変わっても同じ失敗を繰り返すのだ。

では、変わっていない私とは何か?私の何が変わっていないから、同じ失敗を繰り返すのか?
それはどうやら「ライフスタイル」(「性格」にあたるアドラー心理学用語)にあるらしい。
アドラー心理学ではライフスタイルを以下のように定義している。

・ライフスタイルは人生の設計図である。人間は本能的な人生の設計図をほとんど
持っていないので、認知的な設計図であるライフスタイルが必要になる / B.H.シャルマン

・ライフスタイルとは、どのような状況下ではどのような行動が成功するかについての
一連の結論である。 / G.マナスター、R.コルシーニ

・ライフスタイルは音楽の主題にたとえることができる。それは我々の人生にくりかえし
くりかえし現れるメロディである。 / R.ドライカース

なるほど。まさにその通り。私は「人生の設計図」「どうすれば成功するかの一連の結論」
であるライフスタイルに無自覚に従い、そして「人生に繰り返し現れるメロディ」として
同じ失敗を繰り返したのだ。ちなみに、私が犯した恥ずかしい失敗は無限にあるが、
「繰り返し現れた」「手痛い」代表的な失敗とは以下のようなものだ。

・部下に「俺流」のやり方を押し付けて部下のやり方を否定し、総スカンを食らった
 → 初めて課長になった時、ベンチャーの役員時代、社長時代と3回同じ失敗を繰り返した。
「今度こそ大丈夫」「対処法を身につけた」と思っていたが、小手先の対応でしかなかったことに
気づかなかったのだ。

・スケジュールを守れない。書類提出などの手続きをおろそかにしてしまう。書類を
 なくしてしまう。
 → 人様や社内に迷惑をかけながら、少しずつマシになってきたが、それでもまた
   すぐにルーズになってしまった。

・知人と会社を2度共同経営したが、うまく続かず、結局、自分一人で会社をやり直すこととなった。
 → 自分が前面に立ち過ぎたり、逆に引き過ぎて放ったらかしたりを繰り返し、適度な間合いが
わからなかった。

・妻と親密な関係を築けずに2度離婚した。
 → 度重なる言い争いをしたり、あきらめて交流を断つことを繰り返し、我慢ができなくなり
別れてしまった。

なんとなくわかるのは「繰り返し現れる同じメロディ」であることだ。では、これらの原因となっている
私のライフスタイル(性格)とは何なのだろうか?

アドラー心理学では、ライフスタイルを分析する際に「早期回想」と言われる幼少期の思い出を
主に用いる。私の早期回想で出てくるエピソードには以下のようなものがあった。

(エピソード記憶1)
郷里でおぼっちゃま学園と呼ばれた幼稚園に通っていたある冬の日のことである。
クリスマスイブに母親に連れられて繁華街のデパートでロボットの人形を買ってもらった。
その後、デパートのとなりにある父親が経営する建築設計事務所で女性の事務員さんに、
苦いコーヒーにたっぷりとミルクと砂糖を入れてもらいご馳走になってから、母に連れられて
タクシーで家に帰った。母親は私にこう言った。「パパは社長で偉いのよ。私は会社でいう
ところの副社長か専務のようなものなのよ」そう自慢そうに言った。私は、自慢をする母の話を
タクシーの運転手さんに聞かれるのが恥ずかしいと思った。

(エピソード記憶2)
幼稚園の時、私が絵本のようなものを読んでいる時に母がこう言った。
「パパはとても頭がいいのよ。国立大学の建築科にいる学生時代に一級建築士の資格を
取ったのよ。しかも、試験の前の日に夜遅くまで映画を観ていたんだって。ガリ勉を
しないで楽にスーッと難しい資格を取ったのよ」。それを聞いて、私はかっこいいな、と
思った。

早期回想分析では、10歳くらいまでの間のエピソード記憶で覚えているものを
3~5個くらいヒアリングをする。そして、その時に語られた内容、話す口調、表情、
体の動き、声色などを総合的に勘案する。さらに、これとは別に「家族布置」「家族価値」
「家族の雰囲気」「特殊診断質問」なども加味して分析する。
そして、以下の3つに集約するのだ。

自己概念:私は~である。
世界像:世の中(社会、人々など)は~である。
自己理想:そのために私は~をしなければならない。
もしくは周囲の人々は私を~しなければならない

上記2つのエピソード記憶から導き出される私のライフスタイルは以下のようになるだろう。

自己概念:私は特別な人間である。
世界像:(特別ではない)普通の人々は努力をして何かを成し遂げなくてはならない
自己理想:私はたいした努力をせずに、特別な地位を獲得するのが当然である。
そのために周囲の人は私を助けなくてはならない

私はこのライフスタイル分析が明らかになった時に目まいがする思いがした。
あぁ。私はなんと鼻持ちならない人間であろうか。私は自分ではまったく気付かずに
「無自覚」にこのように考えていたのである。
だから、同じ失敗を何度も繰り返してきたのだ。

私は自分自身を「特別な人間」であると、自分では気付かずに考えて来た。そして、
言動の端々で相手を見下していたのだ。自分ではそれに気づかないが、相手は当然ながら
それに気づく。だから、部下や仕事そして家庭のパートナーとうまくいくはずがない。
アドラー心理学でいうところの大前提である「相互尊敬、相互信頼」がまったく
できていなかったのだ。

そして、うまくいかない人間関係の典型である「縦の関係」であらゆる人間関係を
捉えてきた。あらゆる人との関係を無自覚に「上下」「優劣」「正誤」で序列化し、
判断していた。これでは、環境が変わろうがうまくいくはずがない。私は何かを
変えなければならない。それが明確になったのだ。

では、私はどうすればいいのだろうか? 私はアドラー心理学の教えの中に救いを
求めて調べ、学び、考えた。そして、結論づけた。長期と短期の両面戦略でいこう、と。

長期的にはライフスタイルを書き換えることだ。いくら何でも今のライフスタイルで、
対人関係がうまくいくはずがない。しかし、50年間かけて築き、固めてきた
ライフスタイルは一朝一夕に変わるものではない。これまで生きてきた時間の半分以上の
時間をかけて、少しずつ時間をかけて変えていくしかない。それはそれでやっていこう。
まずは、そう考えた。

そして、短期的には、自分が上記のような問題のあるライフスタイルを抱えていることを
受け止めながら、プラスになるようにそれを「使い」そしてマイナスにならないよう
「使う」際に「気をつける」ことにしたのだ。
ライフスタイルとは「持ち物」のカタログではなく、持っているものの「使い方」で
あるという。であるならば、使い方を変えればいい。人様に対して無自覚に失礼になりがちな
自分を自覚して、気をつける。できるだけ、言葉使いをていねいにする。上から人を見ていないか、
セルフチェックをクセにする。そんなことならば短期でもできるかもしれない。

「ものを書く」「人前で話す」ことを仕事にさせていただいているのも、私のライフスタイルが
大きく影響しているだろう。しかし、私はここ数年でライフスタイルを書き換えつつあるように思う。
それは「私は」特別な人間である、とあまり思わなくなってきたのだ。そうではなく
「あらゆる人は一人ひとり」特別な人間だ、と思うようになってきたのだ。
これは決してきれいごとではなく、純粋にそう思うようになってきた。

町工場で30年同じ作業を繰り返しているおっちゃんに対して、敬意を感じる。おっちゃん、
すごい。すごいよ、と。スーツを着てお客さんを案内している営業マンを見て、ものすごく
カッコイイと思うようになってきた。
長期の方も少し変わりつつあるようである。

ライフスタイルが見えてきて、いろいろな謎が解けてきた。50歳にもなり、少しは成長したかの
ように思ったが、ますますもって自分の情けなさが見えてきた。でも、いいのだ。以前より、少しは
マシになっているではないか。そんな風に自分を許し、そして、恥をさらして生きていこうと思った。
少し、恥ずかしいけどね。

【 編集後記 】

講演の仕事で佐賀県庁さんにお招きいただきました。その前後を使って
遅い夏休みで北九州を巡らせていただきました。仕事でよく訪れる福岡
をあえて外して、佐賀県、長崎県、熊本県。少しゆっくりとまわってき
ました。

印象を一言でいうならば「昭和」の懐かしい街並み、です。私が、郷里
新潟で過ごした昭和40年代、50年代の面影が残る街並みがとても
素敵でした。もちろん、グルメも楽しみでした。ちゃんぽん、皿うどん、
熊本ラーメン、佐賀牛、赤牛、そして新鮮な魚貝類!

しかし……。糖質制限ダイエットで麺類やご飯が食べられないことを思
い出しました。もったいない……。しかし、炭水化物抜きでも十分楽し
めた旅でした。もっとも後半は締め切りに追われ、ほとんどホテルから
一歩も出ない毎日でしたが。。。

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