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7月16日配信 小倉広メルマガ vol.191 『 教養がないから、感謝できない 』



vol.191「教養がないから、感謝できない 」

年に一〜二度海外へ訪れる。

出入国の際、日本の赤いパスポートを税関に渡すとほぼノーチェックでハンコを押してもらう。
私はその度に「なんだか無駄な手続きだな」くらいにしか思ったことがなかった。
もちろん、そこに「感謝」の気持ちなどない。

「感謝」の反対は「当たり前」。税関をスムースに通るのは私にとって
「当たり前」のことでしかなかったのだ。

しかし、その考えが根底からくつがえった。

「国防女子が行く」河添恵子、葛城奈海、赤尾由美、兼次映利加 共著
(ビジネス社刊)に次のような一節を読んだ時のことだ。

(以下引用)
私が日本を強烈に意識した出来事があります。

(中略)前には中華人民共和国のパスポートを手にした、身なりのわりと
整った中年男性が並んでいました。

税関の処理がノロノロと遅く長いあいだ待たされていた我々は、
どちらからともなく会話を始めました。(中略)

税関の長い列がそろそろ私たちの番に近づいてきた頃から、
その中国人男性は緊張した面持ちに変わりました。

税関の担当者が彼のパスポートを退屈顔で開くと、いきなり別室に行くよう
アゴで指示。「取り調べをする」ということだったのです。

その中国人男性は寂しそうな目をちらりと私に向けてポツリと
こう言い残しました。

「あなたは赤いパスポートなのに、どこでも『進め』でいいね」と。

その瞬間私はハッとしました。

当然のごとく手にして不自由を感じることもなかった「日本国」の
パスポートのその重みを考えたことなど、その瞬間までなかったからです。

世界のどこへも行こうと思えば行けるこの自由、税関で別室に連れて
いかれることも滅多にはないこの信用は、私が孤軍奮闘することで得た
権利ではありません。

敗戦国や侵略国といったレッテルもあったはずながら、長い歴史の中での
日本国、日本人の血と汗と涙、そして現在も続くその誠実さが、

「世界での信用=パスポート(しかもノービザで入れる国が多い)」

というプレゼントになっているのだと気付かされた瞬間でした。
(引用終わり)

なんということだ。私は著者の河添さんのような「教養」がなかった。
だから赤いパスポートに「感謝」をしたことがない。
血と汗と涙で「日本人の信用」を築いてくれた先人に「感謝」をしたことがなかったのだ。

「感謝の心はたゆまぬ教養から得られる果実である。
それを粗野な人々の中に発見することはない」
(文学者 サミュエル・ジョンソン博士)

私はこの言葉に出会った時と同じ衝撃を先の「パスポート」の話に触れた時に感じたのだった。

文部科学省のHPを見ると「教養」に関して以下のような定義が読み取れる。

「教養とは、個人が社会とかかわり、経験を積み、体系的な知識や知恵を
獲得する過程で身に付ける、ものの見方、考え方、価値観の総体ということができる」

「教養」とは単なる「知識」の量ではない。
ましてや「学歴」などとは関係ない。

東京大学を卒業していようが「教養」のない人もいれば、中学校卒業しか
していないが「教養」が高い人もいる。漫然と人生を歩むのではなく、
人生の課題から逃げずに立ち向かい克服してきた「濃い人生」を送ってきた人、
そして、課題を他人のせいにせずに自分に矢印を向けて「内省」を続けてきた人
であれば、誰もが深い「教養」を得ることができる。私はそう思っている。

先日、友人であり、尊敬する経営者であるNPO法人ヒーロー代表の橋本博司さんが
クラウドファンディングを通じてカンボジアの子供たちに給食を提供する資金を
集めていた。私はFacebookでつながっている3,700人の「友達」に募金を呼びかけ、
橋本さんをお手伝いした。すると、志ある「友達」が次々と募金をしてくださり、
あっという間に目標金額を達成することができた。

その時、私はそれを「当たり前」だとは思わなかった。

募金をしてくれた「友達」に対して深い「感謝」の気持ちを持つことができた。
これは嘘ではない。しかし、だ。私の「教養」はまだその程度だったのだ。
それに気づかせてくれたのは私のコーチングのクライアントである経営者Aさんの
コメントだった。

NPO法人と親しくさせていただいている私に、事務局の方がこっそり
こう耳打ちしてくださった。

「小倉さんのお知り合いであるというAさんが、最後にポンと30万円も
寄付してくださったんです。それでゴールインしました!」

私は、嬉しくなり、Aさんに感謝のメールを送った。すると、Aさんはこう返信をくださったのだ。

「ある意味、お金を出すのはたやすいことです。それよりも、現地で汗を流し、
苦労されている方々のことを思うと、このような簡単な形でお手伝いさせて
いただける私の方こそ、感謝の気持ちでいっぱいです」と。

ああ。なんという「教養」の深さだろう。なんという「感謝」の広さだろう。

「幸せだから感謝するのではありません。感謝するから幸せになるのです」
(鍵山秀三郎)

「私たちの生き方にはふた通りしかない。奇跡などまったく起こらないかのように
生きるか。すべてが奇跡であるかのように生きるかである。
今、目の前にある事象が奇跡のたまものと信じれば、輝かしい人生が送れるだろう」
(アルベルト・アインシュタイン)

幸せになりたいならば、感謝できる私になることだ。
そして、感謝できる私になるには「教養」を深めることが必要だ。
「教養」とは、深く濃く生きる中で、他人のせいにせず自分に矢印を向けて
内省することで身につくだろう。それこそが、幸せに生きる道だ。私はそう思った。

まだまだ。まだまだ。私は、鼻たれ小僧だ。人間未満、だ。
情けない思いとともに、しかし、周囲に「気づかせてくれる」素晴らしい
先達がいることをとてもありがたく「感謝」の気持ちでいっぱいになった。


【 編集後記 】

「感謝」する能力を私は「心のアンテナ」の感度が高い、と呼んでいます。
感度が高いから「感謝」できる。感度が低いと「感謝」できない。
その感度を決めるのは「教養」である。そういうことですね。

私はこの気づきを得るまで、「感謝」する能力を高める方法は3つある、と伝えてきました。

一つ目は、「なくしてみる」ということです。
当たり前だと思っている健康や、水道をひねるとでてくる水、便利な電気、交通網。
これらを失う体験をしてみると「ありがたさ」に気づきます。

二つ目は「逆の立場にたってみる」。子の立場でなく親の立場にたってみる。
すると「親への感謝」がわいてきます。最後には「心のアンテナが高い人」
つまり、尊敬できる人の近くにいることです。「こんなところで感謝するのか!」
「こんな相手にも感謝するのか!」と「模範を示して」くださいます。

まだまだはなたれ小僧ですが、少しずつアンテナの感度をあげていきたいと思います。

では、次回をお楽しみに!

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