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5月15日配信 小倉広メルマガ vol.177 『 2つのトラウマ 』



vol.177「2つのトラウマ」

私には幼少期のトラウマが2つある。1つは、小学校2年生くらいの。
もう一つは5年生の時のトラウマだ

私の両親は私が小学校1年生の時に離婚した。
それまで裕福な家庭の専業主婦だった母は、時給400円の工場のパートに働きに出た。
毎朝4時に起き家事をして、真っ暗な早朝に家を出てバスに乗るのだ。
母はそれが恥ずかしくてならなかった。
だから、いつも人目を避けるようにこっそり家を出た。そして、そんな生活が
情けなくて、家に帰って毎晩のように泣いた。

そんな母を親身に物心両面で支えてくれたのが母の妹、私にとっての叔母だった。
叔母は母だけでなく私たち兄弟に対してもことあるごとに優しくしてくれた。
レジャーに出かける楽しみもない私たちをしょっちゅう家に呼んでおいしい料理を
ご馳走してくれた。そして、家計に余裕がない母に「家事を手伝ってくれないかしら」と
声をかけ、さりげなく御礼名目で援助をしてくれたのだ。
もちろん、私と妹にも何かにつけて小遣いをくれた。私はそんな優しい叔母が大好きだった。

ところが、である。そんな観音様のように優しいあの叔母が、私のいないところで、
私のことを悪く言っていた、と母から聞いてしまったのだ。

「広、あんた、叔母さんの家でひどいことをしたらしいね。叔母さんが怒っていたよ。
あんた、叔母さんの家の壁に野球のボールをぶつけて遊んでいたんだって?
そのせいで叔母さんの家の壁がひび割れてしまったらしいじゃないの。
どうしてくれるの?私には修理代なんて払うお金はないからね。叔母さんも、広はひどい子だって
怒っていたよ」

私は絶句した。そんなことがあったとは・・・。なぜ叔母は私に直接言って
くれないのか?なぜ陰で私の悪口を言うのか?私は裏切られた気持ちでいっぱいになった。
私はこの体験からあることを学んだ。それは「どんなに優しそうに見える人でも信じてはいけない」
という教訓だ。陰で何を言われているかわかったもんじゃない。
信じて安心していると裏切られる。うかつに人を信じてはいけない。私はその時にそう学んだのだ。

もちろん、今から考えれば、それは幼く間違った考え方だとわかる。
叔母は私を裏切ったのでも、おとしめたのでもない。私が傷つかないように守ってくれたのだ。
しかし、小学校2年生の幼く愚かな私はそれに気づかなかったのだ。
「裏切られた・・・」そう強く思い込み「もう人のことを信じないぞ。これ以上傷ついてたまるものか」と
身構えてしまったのだ。

そんな私がもう一度大きく傷ついたのは小学校5年生の頃のことだ。
当時、私はクラスのガキ大将のような存在だった。悪ふざけやいたずらばかりしていた。
友達をからかい、はやしたてた。まさか、そんな私が逆にからかわれるようになるとは夢にも思わなかったのだ。

それは夏休みの学校行事キャンプの時のことだった。私たちはキャンプが楽しくて
仕方がなかった。子供達だけでテントを張り、一緒に泊まる。あまりにワクワクして眠れないほど
私は興奮していた。しかし、眠気には勝てない。ワクワクとは裏腹に私は仲間内でも最も早い時間に
眠りに落ちてしまったのだ。

子供達の輪の中で最初に眠りに落ちる。それはあたかも「どうぞいたずらをしてください」と
言わんばかりの行動だ。悪ガキ仲間たちは素直に反応した。
眠った私のズボンとパンツを引き摺り下ろし、私の下半身をさらけ出し、みんなで大笑いをしたのだ。

では、この程度のいたずらは、50歳になり修羅場をくぐりぬけてきた今の私にとっては
単なる笑い話である。しかし、小学校5年生、多感な子供にとってそれは耐えられないほどの屈辱であった。
そして、何よりも・・・。そのことがその後一年間の間、私に告げられずに陰で笑い話になっていたことの方が
私を打ちのめした。

信じていた悪ガキ仲間たちに私は裏切られた。私は再び学んだ。
常に用心しておかないと笑い者にされてしまうぞ。人を信じてはいけない。
信じると裏切られてしまうぞ、と。

小学校2年生の時の叔母の陰口で芽生えた私のこの思いは、このキャンプ事件で
確信に変わった。人を信じてはいけない。裏切られてしまうから。安心していると陰口を
言われバカにされてしまうのだ。私はそんな信念を持つようになった。
小学生時代の2つのトラウマが私を疑り深い、人を信じない人間に変えてしまったのだ。

アドラー心理学を学ぶ前の私はこのストーリーをずっと信じていた。
悪いのは叔母であり、小学校の悪友たちだ。私は被害者だ。人を信じるから傷ついた。
人を信じなければ傷つかない。もう人を信じるのはやめよう。
それはトラウマのせいなのだ。と。

しかし、アドラー心理学を学んだ今の私は知っている。それは大いなる嘘である。
ごまかしである。人を信じないと決めたのは私自身である。同じ体験をした全員が
同じく人を信じなくなるわけではない。その道を選んだの私自身。私は他の道を
選ぶことだってできたはず。自分が好き好んで人を疑う人生を選んだだけのことなのだ。

だからこそ、私はいつでも変わることができるはずだ。疑い深い性格をやめて、
人を無邪気に信じるようになれるはずだ。自分で決めたのだから自分で変えられる。
今の私なら、変わることができるに違いないのだ。

もしも、アドラー心理学を学ばなかったなら。 私はいつまでもトラウマの犠牲者を
演じ続けていたのかもしれない。
「弱さは時に最大の強さとなる」「被害者を演じることで、人は優越aを手に入れる」
アドラーはそう言った。私はそんな人生を自ら選んでいたのだ。
あー、気づいて良かった。抜け出せて良かった。子供の頃を思い出しながら、そんなことをしみじみと思った。

【 編集後記 】

不思議な体験をしました。知らない会社から電話がかかってきました。
「一緒に仕事ができないかと思っています。事務所に来てくれますか?」私は時間を作り、
片道90分をかけてこの会社を訪問しました。
しかし、一向に話の筋道が見えません。しかし、辛抱強く聞いていると・・・。
なんと、それは私に対するある商品サービスの売り込みだったのです。
私に100万円のサービスを買わないか?という提案だったのです。
私は驚いてしまいました。なぜ、これで私が呼び出されるのか?普通は逆ではないか?
25年近くの私のビジネスマン人生でおそらく初めての体験でした。
これも一つの貴重な経験。丁寧にお礼を言って席を立ちました。

世の中は、これだから面白い。では、次回もお楽しみに!

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