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10月9日配信 小倉広メルマガ vol.218 『 方言丸出しの田舎者、に私はなりたい』



vol.218「方言丸出しの田舎者、に私はなりたい」

久しぶりのデートで、いつもより少しだけ高級なリストランテを予約した。
正装した給仕が妻の椅子をさっと引く。座るやいなや、妻は胸の前で組んだ
両腕をさすりながら肩をすぼめてこう言った。

「あ~、あずましくない。私、高級な店に来ると、なんだか、
いつもソワソワするさぁ」

あずましくない。北海道弁で落ち着かない、という意味だ。
私は妻の方言を聞くたびに心がゆるむ。方言がおかしいからではない。
かっこつけない、肩肘張らない妻の心に触れて、こちらまで張り詰めていた
肩の力がぬけていくからだ。

そういえば、先日、私の郷里・新潟から姉が遊びに来た時も同じ思いをした。
「あー、あっちぇ、あっちぇ。汗かいたって」。丸出しの田舎の訛り。
それを聞いて私は心がだらり弛緩した。田舎者の、そのまんまの姉がそこにいたからだ。

私は、そのまんまの自然体な人間が好きだ。いや、憧れる、といったほうが
正しいかもしれない。なぜならば、それは私に最も欠けている能力だからだ。

18歳で東京に出てきた時。私が無意識に口にした郷里の訛りを聞いた友人が、
大声で笑い、私をからかった。それ以来、私は訛りを口にしないよう、常に気を
つけて話すようになった。笑われないために。バカにされないために、
東京人を演じることにしたのだ。

そんな風にして私は、様々な人間を演ずるようになっていった。
知識のない人間ではなく教養があるふりを。怒りっぽいのではなく穏やかなふりを。
冷たい人間ではなく優しいふりを。傲慢ではなく謙虚なふりを。
そんな風にして幾重にも仮面をかぶり、演じているうちに、私は自分が何者で
あったのかすらも、わからなくなっていった。

そんな私の目の前に、何も飾らず、方言丸出しで話す妻がいる。
私は彼女を見ていて、ハッとする。自分がいかに嘘くさく、薄っぺらい人間で
あるかに気づかされるのだ。

自己一致という言葉がある。クライエント中心療法という現代の心理カウンセリングの
基礎を築いたカール・ロジャースの言葉だ。別名「純粋性」。カウンセラーは
自己一致、すなわち自己概念と自己経験が一致していなくてはならない。
「自分は都会の洗練された知識人である」という自己概念と、実際の経験が
一致していなくてはならない。もしもずれているならば、自己概念を柔軟に
変えていくのだ。

「自分は田舎者だ。知識人ですらない。でも、それのどこが悪い?そんな自分で
いいではないか」

そんな風にして、自己概念と実際の自己経験を一致させていく。
そして、ポジティブな面もネガティブな面も含めてそれを自己受容していく。
それが心の健康な状態だ。

それとは逆な不健康な状態とは、自己概念と自己経験が不一致な状態だ。
「都会人であるべき」「優しい人間であるべき」「いい上司でなくてはならない」
そんな風に不自然な自己概念で自分をがんじがらめに縛っていき、そして、
実際にそれがうまくできなくても、見ないふりをする。ガチガチに固めた嘘の
自己概念に適合しない自己経験を「抑圧」「否認」「歪曲」して見ないようにする。
だから苦しい。そんな窮屈な生き方だ。

では、どうすればいいのだろうか?簡単なことだ。
硬直化した自己概念を柔軟な自己概念へと変えていく、自己概念の適応的変容を
行っていくのだ。そうすると、自己概念と自己経験が一致して、自然体の
そのまんまになる。それが心の健康であり、そんな人を目の当たりにした、
不健康な相手までもが安堵に包まれ、いいなぁ、と思い、自分までもが自然体へと
近づいていくのだ。カール・ロジャースはそれこそがカウンセラーの役割だ、
といい、クライエント中心療法を確立していった。

いい人を演じている自己一致できていなかった私。そんな私が、自然体、そのまんまの
妻や姉というカウンセラーに触れているうちに、少しずつ仮面を脱ぎ始めている。
そのまんまの自然な私でいいのだ、と気づかされている。
私は知らず知らずのうちに、家族に癒され、立ち直っているのを実感している。

そんな体験を積んだからだろうか。私はつい、自分の体験を声高に伝えたくなって
しまうのだ。たとえば、いつもいい人を演じている人へ。いつもポジティブで元気な
ふりをしている人へ。いつも頑張り屋さんでいる人へ。

そんな人を見ると私は声をかけてあげたくなる。

ねぇ、ねぇ、田舎者でもいいんだよ。悪い人でもいいんだよ。
落ち込んだっていいんだよ。そのまんまでいいんだよ、と。

そして、妻を見て、ハッと気づく。声をかける必要なんてないんだ、ということに。
私自身が、自己一致して、ただただ毎日、普通に暮らせば良い。
自然体のそのまんまでいればいいんだということに私は気づく。

なぜならば。妻は私に何も説教をしていない、からだ。ただ、ただ、北海道弁丸出しで、
自然体で普通に生きているだけだ。それを見て、私が勝手に影響され、変わっていく。
それでいいんだ、と気がついた。

この一連のプロセスこそがカール・ロジャースの非指示的カウンセリングなのだという。
余計な助言やアドバイスをせずに、自己一致をした自然体のカウンセラーが相手の話に
耳を傾け、共感的理解をしていく。するとクライエントが持っている自然治癒力が働くのだ。

おそらく、妻はカール・ロジャースを知らない。そして間違いなく、姉も。
彼女たち二人はカウンセリングの勉強など何もせずに自然にその域に達している。
悔しいがそれが現実だ。まあ、それでもいいか。悔しがっている自分も柔軟に
取り入れて適応的に不自然な自分を認めていこう。

難しそうな顔をして、頭の中でぐるぐるとこんなことを考えていた私の目の前で、
妻はにこにことご飯を食べていた。「あずましく」なさそうにナイフとフォークを
使いながら。「あ~、箸がほしいね」。おばあちゃんのようなことを言いながら。
ただ自然体で、妻は笑っていた。

【編集後記】

糖質制限ダイエットにはまっています。炭水化物を食べず、砂糖や日本酒、
みりんの入った料理を避け、塩味で肉や魚や野菜を食べています。

おかげさまで3ヶ月で9キロ痩せたのですが、それからぴたりと体重減少が
止まってしまいました。いわゆる停滞期というやつです。

最近は、いくら食べても太らないのがおもしろく、毎日のように肉の脂身やバター、
ココナツオイルなどでたっぷり脂質を取っているのですが、どうやら調べてみると
まだまだ知らぬ間に糖質を摂取してしまっていたようです。

たとえば、ホッピー。低糖質ではあるのですが、1瓶400mlの中には6,8gの糖質が
入っています。ビールの数十gに比べれば僅かではありますが、昨晩は2本飲んだので
それだけで13.6g。食事の調味料に入っている糖質を加えるとあっという間に20gの
目標値を超えてしまいます。

そうするとインシュリンが分泌され、摂取した脂肪やタンパク質などを中性脂肪に
変えてせっせと蓄積してしまうのです。もしも20g以内に糖質を抑えさえすれば、
たっぷりと脂肪を食べてもそれらは蓄えらずそのまま便として排出される。
糖質の量によって、蓄積か排出かが大きく分かれる。
その境目の目安が1回の食事あたりで20gなのです。

自分の体を使って実験するのがおもしろく、ついに尿糖測定の試験紙だけでなく、
血中ケトン体、血中血糖値測定器までも買ってしまいました。
この実験、まだまだ続きそうです。では、次回もお楽しみに!

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