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10月30日配信 小倉広メルマガ vol.222 『 人生はフレンチプレスのように』



vol.222「人生はフレンチプレスのように」

ザク。ザク。ザク。スコップでコーヒー豆をグラインダーに放りいれてスイッチを押す。
ガリガリ、という音とともに挽きたての豆の香りがキッチンに漂う。朝の儀式の始まりだ。

水はコントレックス、超硬水。これを1L沸騰させる。以前は軟水。その前は水道水。

いろいろ試したが硬水の方がうまい。豊富に含まれるミネラルで得られる健康と味の両立を
考えてこれに落ち着いた。
豆は酸味と甘みが強いグアテマラをミディアムローストで。

元々酸味が好きなのでキリマンジャロやモカを飲んでいたが、これもいろいろ試して
グアテマラで落ち着いた。
豆を挽くグラインダーはバリオ社のもの。以前は簡易型の
ミルを使い、刃を回転させて粉にしていた。最初は手挽きのポーレックス社製。

やがてミルを回すのに疲れてカリタ社の電動ミルへ。そして、現在は粒の不均一さが
我慢できなくなり、臼のように低速ですり潰すことで均一に挽くバリオ社のマシンに
落ち着いた。

コーヒーをいれるのはフレンチプレス。喫茶店で紅茶を頼むと粉とお湯を入れたまま
出てくるガラス製のあの入れ物だ。以前は、細かい粉が口に入るのが嫌なので、簡単な
使い捨てのペーパーフィルターを使っていた。しかし、一度フレンチプレスを飲んだら
元に戻れなくなった。コーヒーオイルが紙に吸い取られることなく、まろやかな旨みが
手に入るのであれば、細かい粉が口に入ろうがそんなことはどうでもよくなった。

 

私が使っているのはボダム社のコロンビア。真空二重底のステンレス製で保温性能が高く、
ガラス製ではないため割れにくい。以前使っていたのは同じくボダム社のシャンボール、
ガラス製。もちろんこれでも味は変わらないのだがステンレス製の方が毎日洗ったり
片付けたりが楽だし、温度も気にしなくていい。なので、買って一ヶ月で買い換えた。

最後に入れたてのコーヒーをサーモスの1Lポットに移す。電熱器では煮詰まってしまい
味と香りが台無しだ。だから真空ポットで数時間のうちに飲みきる。

これでようやくコーヒーの完成。1日のうちで最も生産性が高い午前中の仕事の貴重な
友となる。

  朝の儀式が終わり極上の一杯を楽しんでいると、妻がため息をつきながら
つぶやいた。

「ねぇ。前に使っていたコーヒーの道具、どうするの?」

ご心配はごもっとも。うちのキッチンには3?4世帯が十分にまかなえるほどの
コーヒー道具がフルセットで揃っている。無駄といえば無駄。
しかし、この無駄は必然だったのではないかと私は考えている。

例えばコーヒーメーカーの選択を考えてみよう。
現在気に入っているフレンチプレスの方がペーパーフィルターよりも味がいいことなどは
知識としては何年も前から知っている。しかし、私は何十年もペーパーフィルターに
こだわってきた。毎日のことだからこそ、手軽さが大事。そして、フレンチプレスでは
濾過されずにカップに注がれ、口に入る細かなコーヒーの粉が気になって仕方が
なかったからだ。

だが、その基準も経験と共に変わっていく。コーヒーを淹れる手間が手間ではなく、
心をスローダウンさせる貴重な時間になりえる、と気づいてから、手間の多少は気に
ならなくなった。また、毎日飲んでいるうちに、以前は重視していなかった豊かな香りと
コクが欲しくなってきた。経験と共に優先順位や価値基準が少しずつ動いてきたのだ。
それも経験して初めて自分が何を求めているか、自分にとって何が大切で何が大切でないか、
が、わかってきたのだ。

逆を考えるとわかりやすいかもしれない。いくら知識で知っていたとしても。
他人から勧められたとしても、体験していないことはイメージができない。

できたとしても、それは偽のイメージでしかない。実際に体を動かし、体験として
味わってみて初めて知識は現実のものとなる。それは生き方も同じではないか。

 

ずっと不思議だった。なぜ、人は同じ間違いを何世代にも渡って繰り返すのか?が。

どう生きればいいのか?なんて、2千年以上前に釈迦とキリストと孔子とソクラテスに
語り尽くされている。私が本を40冊書こうが100冊書こうが、その中身は四聖の手のひらから
抜け出すことは決してない。それを超えるノウハウなんて、ない。

では、なぜ我々はわかっていながら間違うのか?数千年、延々と同じ間違いを繰り返すのか?
コーヒーを淹れているうちに、なんとなくそれがわかったような気がした。

釈迦やキリストや孔子やソクラテスが書いた書物をいくら読んでもわからない。実際にそれを
体験しなければわからない。体験してみて、失敗してみて、初めて「あぁ、そういえば本に
書いてあったな。そういうことだったのか」とわかるのではないか。

王陽明はそれを「知行合一(ちこうごういつ)」と呼んだ。私たちの父母、祖父母、曾祖父母も
代々そうやって、生身の体で初めて味わい、初めてわかってきた。
そうして、ようやく「人生はこういう風になっていたのか」と全体像がおぼろげにわかり始めた
頃に臨終を迎える。そうやって歴史は繰り返してきたのではないか。私はそんな風に気がついた。

これからも私は本で読み、知っていたはずのことを間違うだろう。そうして間違って初めて
「そういうことだったのか」と気づくだろう。目の前にずらりと並んだコーヒーの道具の
フルセットを眺めながら私はそんなことを考えていた。

【 編集後記 】

通常月の4~5倍の仕事量だった怒涛の一ヶ月が過ぎ、同じくらい忙しかった1年半前を
思い出しました。あのときはストレスが高まるあまり、音楽を聴くこともできず、虫の声や
波の音のCDを買い込んで聞きながら神経を鎮める毎日でした。

そして今、鎌倉の谷津の中で暮らしていて、CDが必要ないことに改めて気付きました。
深い緑と波の音と鳥の声。CDの中の音がすべて窓を開けるだけで手に入るからです。

環境は人の心に大きく影響する。今の私は1年半前に比べて格段にリラックスするしている
ことに気付きました。

自然は人を癒す。環境は人に影響を与える。そんなことを感じたこの一ヶ月でした。

次回もお楽しみに!

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