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10月29日配信『父との思い出』



いつの間にやら「生き方」に関して、書いたり、語ったりするようになっている。私自身、生き方が決して上手ではない、いや相当に下手なはずなのだが。

11月15日には、「『働き方』を考えることは、幸せのかたちを考えることだ」と題して「生き方」「働き方」に関する対談をする。
大ベストセラー「媚びない生き方」(ダイヤモンド社)の著者、ジョン・キムさんと、同じく大ベストセラーとなった「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか」(星海社新書)の著者、木暮太一さんと、私との対談だ。
http://kokucheese.com/event/index/58214/

さらには、今話題のamazonの電子書籍Kindleで発売された電子書籍の新刊「心にしみる31の物語 仕事の作法、生き方の仕法(メルマガ傑作選)」(ごま書房)もまた、生き方に関する本だ。
http://www.amazon.co.jp/心にしみる31の物語-仕事の作法・生き方の仕法-ebook/dp/B009OYXD0M

そんな僕の不器用な生き方に影響を与えてくれた、父との思い出について、語ろうと思う。

父との思い出は小学校一年生で途切れる。その年に両親が離婚し、私は母と共に暮らすことを選んだからだ。その後、父と再会するのは20年ほど経ってからのこととなる。

物心がついてからわずか数年間だけの、父との思い出。その中でいつも決まって頭に浮かんでくる二つのできごとがある。そのいずれもが、小学校一年生のときの夏の思い出だ。

じりじりと照りつける太陽。私の生まれ故郷新潟の浜辺へは、自転車で10分ほどで着くほどの近さだった。私は子供用の小さな自転車で、父の後について海へ向かった

浜辺には既にたくさんの海水浴客がごった返していた。父は人混みの中に場所を見つけシートを敷く。そして持ってきたラジオのスイッチを入れ、ごろりと寝転がり、文庫本を開いた。私はすかさず「ねぇ、ちょっと海に入ってきていい?」と父に許可を取り、海へ入っていった。

わくわくした気持ちで波間に遊び、貝殻や昆布を拾いながら海岸線を歩いた。そして、あっという間に迷子になった。

「確か、あのあたりだったはず……」目指したところに父はいない。焦った私は涙目になりながら、海岸線を何度も走って行ったり来たりした。それでも見つからない。「どうしよう……。家に帰れない……」私は既に泣きべそをかいていた。

「僕、どうしたの?」20代の前半だろうか? カップルの二人組が私に声をかけてくれた。

「おうちはどこ? 学校は? 送っていってあげようか?」親切な二人は泣きべそで声をからした私を車で家まで送り届けてくれた。そのとき、私は父のことなどすっかり忘れてしまっていた。

そして。風呂に入り、すっかり元気を取り戻した私は外に飛び出し、再び遊び始めていた。そこへ、サングラスをかけ、片手に子供用の自転車を引きながら器用に自転車を操る父が帰ってきた。

「帰っていたのか。良かった……」父はそう一言だけ言って、家に入っていった。

小言ひとつ言わなかった。そんな父だった。

思い出をもう一つ。小学校一年生、初めての夏休み。楽しいばかりではない。そう夏休みの宿題が出されていたのだ。

私は迷った末に、当時、3歳からずっと習っていたピアノを弾きながら、作詞作曲にチャレンジすることにした。そして、童謡を数曲つくり、画用紙に歌詞と楽譜を書き、宿題を完成させていた。

それを見つけた父が何気なく言った。「ヒロシ、歌って聞かせてみてくれ」と。

しかし、私は恥ずかしかった。だから「イヤだ!」と言って拒絶した。父はあきらめない。「聞かせてくれ」「イヤだ!」「なぜだ?」「どうしてもイヤ!」

父の頼みを無視し、かたくなに拒む私に父は突然こう言った。
「じゃあ、二人で板の間に正座しよう。ヒロシが歌ってくれるまでずっと正座だ」。そう言って、真っ先に自分から固い板の間に正座をした。私はしぶしぶそれに従った。

いくら慢性の椎間板ヘルニアを抱えているとはいえ、柔道で黒帯を持つ父の方が正座に耐えうるのは当然のこと。私は一時間と持たずに音を上げ、泣きべそをかきながら父に言った。「ごめんなさい。歌います……」

そんな私を見て父は言った。「そうか。歌ってくれ」。

そのときも、父は何一つ、小言や説教を言わなかった。そして、足を崩すと初めて顔をしかめて「さすがに腰に来るな……」と腰をさすった。

私が敬愛する、哲学者にして国民教育の父と呼ばれる森信三先生は以下のような言葉を残している。

「息子を一生に三度叱るか、それとも一生に一度も叱らぬか、父親にはこのような深い心の構えがなくてはなるまい」

父親とはそのような存在であるべきなのだろう。子どもに大きな方向性を与える時にだけ口を出す。

そういえば、現在、物書きの端くれでもある私に本を読む習慣を作ってくれたのも父だった。幼稚園の頃、月に一度、書店から本が届くように手配をしてくれた。「世界子ども文学全集」。小さなバイキングビッケ、大泥棒ホッツェンプロッツ、エルマーと竜、風に乗ってきたメアリーポピンズ、飛ぶ教室……。

毎月本が届くことが待ち遠しくて仕方がなかった。同全集を読破した後、父が選んでくれたのは「シートン動物記全集」と「ファーブル昆虫記全集」だった。このとき、私の読書が習慣化された。
そして、現在は読書とは逆の立場で執筆をするようになったのだ。私の人生に大きな方向付けをしてくれたのが父親だと思う。

残念ながら、父になることはかなわなかった私だが、男の端くれとして、リーダーの端くれとして、私の父のように大きな方向付けに関わることができているだろうか。いや、逆の方が大切かもしれない。細々としたことに口出しをせず、
「息子を一生に三度叱るか、それとも一生に一度も叱らぬか」でいることができているだろうか。

はなはだ心許ない自分がいる。小さな事に日々かりかりしている自分がいる。真冬のような冷たい雨の中、傘をさしながら、私は真夏の海に寝転ぶ父を思い出していた。

以上

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