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10月12日配信『会社で働く苦しみをなくすシンプル思考』



昨日から、私の22冊目(海外翻訳版を含めると28冊目)の著作『会社で働く苦しみをなくすシンプル思考』(幻冬舎)が書店に並び始めた。
http://j.mp/Rke29s


本日は、その序章をもってコラムの代わりとしたい。

■「会社」で働くことに苦しみ続けた僕

大学卒業後新卒で入社してから、20年以上が経った。その間、環境や立場が変わったとはいえ、僕はずっと「会社」で働いてきた。振り返ってみれ ば、この間、僕は「会社」で働くことに、ずっと苦しみ続けてきたように思う。

「自分は会社で働くのに向いていないのではないか?」
「一人で働くフリーランスの方がラクではないか?」
「いっそ、独立したらどうだろう?」

しかし、僕は会社を飛び出す勇気がなかった。そしてイヤイヤながらに「会社」で働き続けた。

しかし、今になればわかる。「会社」で働くことは、そもそも誰にとっても苦しいことなのだ、と。そして、考え方と行動を変えさえすれば、苦し まずに、むしろ楽しく「会社」で働くことも十分に可能なのだと。

本論を展開するにあたり、まずは僕自身が味わった「会社」で働く苦しみをご紹介してみたい。


■ドブ板営業に嫌気がさし悪態をつく日々

大学卒業後、新卒で入社した僕はリクルートで求人広告の営業部門に配属された。入社時のアンケートで記載した、希望通りの仕事。しかし僕は入 社3ヶ月で思った。「この仕事はサイテーだ」と。

飛び込み、アポ取りを繰り返すドブ板営業。1日に数百の見ず知らずの会社に電話し、経営者や人事責任者と会ってもらうよう、お願いをする。し かし99%以上の顧客からは迷惑がられ会ってもらえなかった。

僕は顧客からゴミ扱いされるクソみたいな仕事は大卒のやることじゃない、と悪態をついた。そして、リクルートという会社は存在悪だ、とまで考え るようになった。

つまり、僕はリクルートという「会社」そのものを心の中で否定していたのだ。そして、自らが否定している「会社」に勤め、自らが否定している 仕事を続けていた。これでは、苦しくなって当たり前だろう。

今から思えば、当時の状況を打開するためには、「会社」を変わる。つまりは転職をするか、もしくは、会社を否定する「自分」が変わるか、のい ずれかしかない。しかし、当時の僕には「自分」が変わる、という選択肢は思いつきもしなかった。だから、「会社」を変わるか、もしくは「ガマ ン」するか、の二択しかなかった。

そして、二つの選択肢は、共に僕を苦しみに追い込んだ。僕は出口のない閉塞感の中、「会社」に悪態をつき、苦しみながら、だらだらと仕事を続 けた。


■名ばかりの企画職。根回しと調整にうんざり

その一年後、僕は事業企画室へ異動になった。華やかなイメージの企画室。
僕は頭を使う仕事だとばかり思って乗り込んだ。

ところが、実際は違った。頭を使う企画の仕事はわずか3割ほど。ほとんどの時間は、企画を役員会で通すための根回しと部長、役員の意見調整。 極めて泥臭い地べたを這うような仕事ばかりだったのだ。

24歳のペーペー企画マンにとってリクルートの役員、部長は雲の上の人だった。僕は根回しをすべき相手に、勝手にビビリ、部長、役員の反対意見 に屈服し白旗をあげ続けた。そして自ら屈服しておきながら上司の愚痴を言って酒場でクダをまいた。「××部長はまったくわかっていない。自分 の部署の損得ばかりを考えて経営者意識がない」。などとみごとな評論家ぶりを発揮していたのだ。

そして、昼になるとその部長に対して屈服していた。「××部長、ご意見承りました。再度、検討いたします……」。そして、また評論家として居 酒屋でクダをまくのだった。

当時、僕は自分を「被害者」だと思い込んでいた。入社2年目のペーペーである自分が部長や役員と対等に渡り合えるはずなどない、と決めつけて いた。相手は百戦錬磨の部長、役員だ。自分の意見などがかなうはずはない。そんな僕に根回しという仕事をやらせるなんて、この会社は間違って いる。自分はなんてかわいそうなんだ……。そうやって会社を批判し、被害者のふりを決め込んでいたのだ。

これでは、「会社」で働くことが苦しくなって当たり前である。しかし、僕は、苦しい原因を外に求め続けていた。自分が悪いんじゃない。こんな 仕事を押しつける「会社」が悪いんだ……と。


■考え抜いた末に「会社」を変わることを決意。しかし……。

営業職と企画職。二種類の職種を経験し、僕は「会社」で働くことがつくづくイヤになった。しかし、入社二~三年の若造にとって、独立なぞはで きるはずもない。僕は仕事がつまらないのはリクルートという「会社」が悪いのだと考えた。そして自分は悪くない、仕事ができる有能な若者だと 自己評価していた。だから僕は「会社」を変わることにした。そして、商売道具である就職情報誌や新聞の求人広告を眺めて転職先を探し続けた。
しかし、世の中に僕が理想とする職場はなかなか見つからなかった。一流企業であっても職種は地味なものばかりだった。華やかに見えるマスコミ のクリエイティブ職は皆、経験者ばかりを募集していた。僕は応募することもできずに、ひたすら求人広告ばかりを眺めていた。

当時の僕は完全に腑抜けだった。「どうせ、もうすぐ辞めるんだ……」。そう考えていた僕が真剣に仕事に取り組むはずもない。僕は適当に仕事を 流した。すると、より一層、仕事はつまらなくなっていった。

やがて、僕は一社も応募しないままに「会社」を変えることをあきらめた。「中途入社で入れるような、いい『会社』はないよ」。自分で自分に言い 訳をしながら。そして、またぞろ、ぶつくさ文句を言いながら、とりあえず、だらだらと現在の「会社」で仕事を続けることにしたのだ。

■憧れの編集部へ。しかしそこも安住の地ではなかった……

結局、僕は企画職を3年間続けることとなった。そして、その後、念願がかない、たっての希望であったクリエイティブ職、情報誌の編集部へ異動 となったのだ。僕は、今度こそやりたい仕事ができる、と喜んだ。

ところが……。あれだけ望んだ仕事のはずなのに、実際に編集記事を作ってみると、思ったほどにはおもしろくない。転職ノウハウ記事や地味な情 報をギッシリ詰め込んだ企画が人気だった。だから一般誌のような華やかな記事は作れなかった。

さらには、誌面の大方針は僕の知らないうちに企画室で決められた。編集部は企画室と経営トップが決めた方針の中でチマチマと言われた範囲の記 事を作るしかなかった。「これじゃあまるで下請けじゃないか」。僕はまたぞろ愚痴を言った。

地味な記事を作り、企画室の下請け的な仕事をする毎日。僕は、情報誌の編集部がすぐにイヤになった。そしてこう思った。「自分が編集している のは広告枠を集めた情報誌。いわゆる本物の雑誌とは違う。そしてリクルートは本物の出版社じゃあない。ニセモノの雑誌に、ニセモノの出版社。 これじゃあ、仕事がおもしろいはずはなかろう。地味でつまらない仕事になるのも当然だ」と。

この時の僕は、本気でそう思っていた。本物の出版社の本物の雑誌作りならばおもしろいはず。リクルートの情報誌だからつまらない、のだと。こ の時の僕も、相変わらず矢印をすべて外に向けたままだった。

自分は悪くない。悪いのは情報誌であり、「会社」だ、と。自分の中に苦しさの原因がある、などとは、まったく考えたこともなかったのだ。

■「会社」から逃れてフリーランスのような働き方に

その後、僕は新卒で入社したリクルートでの最後の職場となる、新設された部署へ移ることとなる。組織人事コンサルティング室。リクルート社40 数年の歴史の中で初めてコンサルティング事業を始めた実験的組織の創業メンバーとなったのだ。

結局は、この仕事が僕の天職となり、現在もなお僕はコンサルタントの仕事を続けている。しかし、それは後にわかったこと。当時の僕には知る由 もない。

コンサルタントになった僕は水を得た魚のようにイキイキと仕事をした。それまでムダだと吐き捨てていたあらゆる経験、営業や企画や編集の経験 がすべて活きるのがこの仕事だった。それより、何より、この仕事は究極の「自由と自己責任原則」が貫かれていた。この部署には顧客に売り込む 商品らしい商品がない。顧客に売るのは自分自身。鉛筆一本の生身の自分を買ってもらう。それがコンサルティングという仕事だった。
だから、業績が上がらなければそれを商品や事業、つまりは「会社」のせいにするわけにはいかない。これまで散々うまくいかない理由を「会社」 のせいにしてきた僕が、矢印を自分に向けざるを得なくなったのだ。

そしてその重い責任と引き替えに僕は大きな自由を手にしていた。「服装自由」「出退社時間自由」「自宅勤務OK」「経費OK」「タクシー、グリー ン車OK」。ワークスタイルは限りなく自由。重い自己責任と高い自由。そのバランスが僕にとってはとても心地よかったのだ。

今から思えば、そのワークスタイルは限りなく「フリーランス」「個人事業主」に近かった、と言えよう。当時の僕は「会社」で働く苦しさから事 実上逃れていた。だから、ラクに働けた。

つまり、この時点で僕は「会社」で働く苦しさを克服していたわけではなかった。事実上「会社」ではないような自由な組織で働いていただけにす ぎないからだ。つまり、この時期の僕は本書においてあまり参考にならない。特殊な時期である、と位置づけたほうがいいだろう。

しかし、僕はそうは思わなかった。会社で働く苦しさを克服し、卒業した、と思い込んでいた。自分の力を過信し、更なるステップアップの時期であ る、と勘違いしていたのである。

(続く)

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